形式:文庫
出版社:新潮社
形式:Kindle版
以下引用。「万国博を開催するのは全世界の「よりよき明日」への手がかりをつかむためであって、万国博そのものは、その手がかりをつかむ手段にすぎない(中略)という確信と決意が、まず存在しなければ、(中略)すべては低次の利害関係や、利権問題、名誉欲、官僚主義、ナワバリ争いの泥沼におちこみ、博覧会そのものは、大金かけたきれい事になっていしまうだろう」。あれから半世紀後、次の大阪万博はものの見事に「きれい事」にすらならない巨大な茶番へと堕したのだった。チャンチャン。
工場で食べていた栄養などほとんどない弁当ですらも貴重に思っていたのに、そのあまりが馬の餌になっていると知った虚しさ。闇市でものを売るために、仲間と機関車の先頭に乗るスリル、たまたま用事があって行かなかった「運び」の仕事が実は違法であり、仲間が逮捕されて、ヒヤヒヤした話なども興味深い。大阪万博奮闘記も青春という感じで面白い。『万国博は『目的」ではなく「手段」である』『万国博を開催するのは全世界の「よりよき明日」への手がかりをつかむためであって、万国博そのものは、その手がかりをつかむ手段に過ぎない』
で、「大阪万博奮闘記」。国際競争力強化が国家優先目標である60年代末、輸出振興のためだけの国際見本市しか考えられない国に対し、万博は世界についての問題提起と提案を行う、学問・産業・文化の総合情報イベントだ、直接経済効果より世界に訴えるべき理念に開催の意義があるとする、小松・加藤・梅棹らの「考える会」に共鳴し興奮する。彼らを批判団体だと牽制しながら理念の提出締切間近になって「考える会」の研究を使い始めたり、テーマ館なぞ不必要だと吐き捨てたり、モントリオール博日本館で恥をかいたり、通産省官僚は悪役の魅力全開。
特に日本の役所主義が本質的でない所以は、その根底にある人間の性悪説だという考えはハッとさせられた。まさにそれは今の日本の行政および伝統的日本企業の非効率なやり方に通ずるところであり、私が嫌悪を感じる理由なのだが、それが感覚的であったところに理屈がついた気がした。
おー、懐かしい。前半の「青春記」高校生の時、読みました。戦中は左京さん、旧神戸一中に在籍しておられたんですよね。教練将校には大分いびられたとか。「地には平和を」「くだん」等の戦争描いた作品の原体験かなぁと思いながら読んでた記憶あります。
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