形式:単行本
出版社:明石書店
「人民」は政治に先行しない。政治によって作られる。「ない」ことにされてるのに「ある」もの、ゆえに言い表せないものを指し示す名が空虚なシニフィアン。だが、そうやって閉じられていた社会の門戸が満たされない諸要求に門戸を開かされる。いかなる閉じられた体系も要求をすべて充足しえない。だから政治は「閉じる」ことと「こじ開ける」ことの繰り返し。その力を得るためには個別的な諸要求を束ねるものが必要で、その代理となるものに人々は感情投資を行う。だから概念や論理ではなくて、情念とかレトリックがないと民主的主体が構成されない
マルクス主義の限界を突破するために、ラクラウは言語論、精神分析、グラムシなんかを節合して、見事な理論を構築してる。「行政とは異なる」政治とは何かとか、政治における情念とレトリックの役割とか、秩序と変化の関係など、政治における知識人の役割など、自分が関心を抱いていたようなものが、一つの理論に収まっててびっくりした。しかし、理論は理論。これを現実に適用するとどうなるかちょっと不安。ラクラウの場合はアルゼンチンのキルチネル政権への協力という形をとったけど、どんなポピュリズムだったら支持する価値があるのか。
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「人民」は政治に先行しない。政治によって作られる。「ない」ことにされてるのに「ある」もの、ゆえに言い表せないものを指し示す名が空虚なシニフィアン。だが、そうやって閉じられていた社会の門戸が満たされない諸要求に門戸を開かされる。いかなる閉じられた体系も要求をすべて充足しえない。だから政治は「閉じる」ことと「こじ開ける」ことの繰り返し。その力を得るためには個別的な諸要求を束ねるものが必要で、その代理となるものに人々は感情投資を行う。だから概念や論理ではなくて、情念とかレトリックがないと民主的主体が構成されない
マルクス主義の限界を突破するために、ラクラウは言語論、精神分析、グラムシなんかを節合して、見事な理論を構築してる。「行政とは異なる」政治とは何かとか、政治における情念とレトリックの役割とか、秩序と変化の関係など、政治における知識人の役割など、自分が関心を抱いていたようなものが、一つの理論に収まっててびっくりした。しかし、理論は理論。これを現実に適用するとどうなるかちょっと不安。ラクラウの場合はアルゼンチンのキルチネル政権への協力という形をとったけど、どんなポピュリズムだったら支持する価値があるのか。