王様の一人称で「余」とか「予」とか色々あるが、「余る」に関しては「餘」が本来の形で、先の二つが両方とも本来は一人称であったとのことである(p. 164)。なおヨーロッパ系だと王様が「我々」と自称するらしいことを俺はサンティアゴ・カリーリョの伝記で知った(Paul Preston, ‘The Last Stalinist: The Life of Santiago Carrillo’, Harperpress, 2014, p. 334)。「サイ」も触れられ(p. 161)、今後の研究の進展が望まれる。