形式:新書
出版社:扶桑社
全くジャンルの違う本だが、最近読んだタイでのんびり暮らす話やゴリラ(類人猿類)の行動観察の話を思い出した。タイ(自然の残る国土の人々)の精神的なゆとりや、ゴリラのコミュニケーションの重要性が共通している。東南アジアにいたら足元でゴキブリウロチョロしててもどうでもよく思えるし。「ああすればこうなる」の概念は鬱の要因とも一致するんだよな。とは言っても都市の便利な暮らしを捨てられないのもヒトなんだよな
しきループだと考えられる。問題の本質はそこでははずだが、脳化という宿痾はどんどん物事の本質から人間を遠ざけるのだろうか。少なくとも20世紀前までは欧米や中国の都市とは歴史的に異なる都市化すなわち文明化をしてきた日本人がなぜ幸福でいられたか、そんなことにも思いを馳せたくなる養老先生の講演録だった。
【要約】五感が脳に入力され、意識がそれを統合し、感情が重みづけした世界が現実となり、運動(筋肉の収縮)が出力される。そのため現実は人や時代によって異なり、全体として統制されたのが世間。「ああすれば、こうなる」と人間が作った空間の人工化(脳化)で成り立つ現代社会は、それが成り立たず社会に折り合わない分からないものや生老病死という自然を異物と考えたり宗教が説明付ける。自然としての身体は縮小しつつあるが、作るのでなく手入れする(ものを認め手を加える)のが良い。人工と自然、脳と身体の釣り合いを落ち着けよう
「ああすれば、こうなる」の都市社会では、生老病死は当たり前ではなく、異常な問題になってしまうという指摘には実感させられる。 どうせなら「ああすれば、こうなる」は全部バーチャルリアリティで行い、現実の身体は自然社会で過ごせばよいというのも、意表をついていておもしろい。
この機能をご利用になるには会員登録(無料)のうえ、ログインする必要があります。
会員登録すると読んだ本の管理や、感想・レビューの投稿などが行なえます