形式:単行本
出版社:講談社
形式:Kindle版
資本を持つものが有利で、金儲けの話ばかりの世の中を見ると、資本主義はこれでいいのか、と思う。しかし、グローバルな競争の中で勝って行かなければ、日本は食べていけない。どうしたらいいのか。悩み続けたい。
また、人間を能動的な存在と見做し、人間の心を経済分析に入れようと奮闘した様は、マーシャルが言った「Cool Head but Warm Heart」という言葉を経済学にもう一度組み込もうとしていたのだろうと思った。一方で私自身も宇沢の著作を通じて薄々感じたが、社会的共通資本の経済学の弱点は理念の具現化が非常に難しいということだ。実際宇沢自身も「三里塚農社」の実現等を通じて自らの理論の正当化を試みたものの、結局は頓挫してしまったという点が大衆からの無関心に繋がったのではないかと思った。
とはいえ本書は市場原理主義を批判的に捉え、人間が尊厳を持って社会を形成するための理論を構築することに生涯を捧げた経済学者の軌跡をリアリティを持って追うことができる点で一読の価値があると認識した。
宇沢弘文『社会的共通資本』を今読んでます。
いまこそ改めて読む価値があるのかもしれませんね。長らく積読本になっていたのでこの機会に私も読んでみようと思ってます。
600ページを超えるハードカバーで、とにかく重かった。書店で見かけて衝動買いしたので仕方ないんだけど、kindleで買うべきだったかも。通勤電車で読むには不適。肘が腱鞘炎になりかけた。まあ、それだけの価値はある本でしたが。
✅かつてマルクス経済学に傾倒していた宇沢が、在野の研究者として経済学を独学しているときに出会ったのが、数理経済学。思弁的なマルクス経済学に比べて、高度な数学を取り入れた数理経済学は、宇沢の思考によどみなく入ってきた。こうして宇沢はマルクス経済学から数理経済学へと転向を果たした。
具体化するのは困難だが、誤解を恐れずに言うならば、リベラリストかつ複雑系経済学の志向者くらいしか想定できないが、日本にはいないだろうな(多分)。◆そして著者。かなりの大部。また仮に経済学の理解が不十分ならば、新古典派経済学者から、そこにマルクスを架橋させつつ原理的ケインズ経済学者?に転身していった、宇沢氏の議論を説明することは不可能であったろう。日米ほか多くの関係者へのインタビュー、種々の書から宇沢への言及を引用し、また宇沢著作の引用も少なくない。この労作は著者の力量と努力が結実したと見ても過言ではない。
◇人間宇沢弘文に接近したいならばお勧めの一書であることは言うまでもないし、さらに言うと、経済学、就中、新自由主義的経済学やニューケイジアンへの批判の底意とその意義を深めたい場合には猶更と言えよう。
→対して、もし耳を傾けないものがあったとすれば、それは救いようのない倫理的退廃そのものに他ならないとさえ感じられたのである。」p276「ナイト教授にとって経済学の研究はあくまで、市民の一人一人が人間的尊厳を守り、魂の自立を支え、市民的自由を最大限に確保できるような社会を実現するという志を持っておこなうものであって、決して政治的権力、経済的富、宗教的権威に屈してはならないというのが常日頃の信条だったのである。」p287 1960年代最適成長問題が主要なテーマとして登場した。
もし、そのまま米国、もしくは英国の大学にいたならば確実にノーベル経済学賞だっただろう。ざっと読みなので、また再読、熟読したい。
不満なところは引用部分が分かりづらくなっているところ。引用が多い割に不親切。ここは引用、ここは本文と印を付けながら読むと混乱しないだろう。
ロビンさん、昔どこかで宇沢弘文の名前が出て、『自動車の社会的費用』(岩波新書)を読みましたと書いたら、詳しい人から「ああ、あれは名著ですね」といたく感心されて、読み直そうと思ってそのままになっています(笑)。
moyse_nさん、コメントありがとうございます(^^)『自動車の社会的費用』読まれたとはすごいですね!わたしは『社会的共通資本』と共に長年積読してます(^_^;)宇沢弘文さんの著書は今読みやすそうな新潮新書の『人間の経済』を読んでいます。講演&インタビュー集です。
『自動車の社会的費用』は宇沢の自由放任主義への批判だ。高度成長が生み出したものは公害だけだった。自動車生産は何れ無くならねばならない。そうでないなら地球絶滅を黙して迎えるだけだ。これは一時は為政者にも受け入れられていた。それは経済企画庁時代の宮澤喜一との対談からも窺われる。しかし1980年代に入るとレーガン・サッチャー・中曽根という超右翼たちによって新自由主義が世界を先遣し、今もその状態が続いている。著者もここに至って「宇沢弘文は、敗れたのである」としか書かざるを得なかったのである。
宇沢はアメリカでは「ヒロ」と呼ばれている。中には「ヒーロー」と呼ぶ人も居るらしい。それは宇沢の生き方を象徴しているような気がしないでもない。 そこには現代に蔓延る新自由主義を許してはならないとする正義が、僅かながらも生き残っているからに違いない。 マルクスが解析学を理解していたら、その再生産論は緻密なものとなりケインズ理論にある一部の脆弱性は打破されるものとなっていたのでないだろうか。
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