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「豊臣政権の貴公子」宇喜多秀家 (角川新書)

感想・レビュー
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九瀬樹
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なんで宇喜多秀家が五大老?という疑問からたぶん「宇喜多の捨て嫁」を読み、よくわからないのでこの本を読みたい本に登録していたんだと思います。やっと読みました。歴史に昏いので、豊臣期の大名のあり方なんかもこの本でわかったし、歴史の項目としてしか知らない事柄が、なんとなく腑に落ちる形で理解できました。本筋とは離れますが、ずっと名前やペア名を略す文化って品がないなぁと思っていたのですが、秀家の家臣、岡豊前守を岡豊と略した文書が取り上げられていたりするのを見て、戦国時代からそうだったら仕方ないなと思ったりしました。
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Toska
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ネタバレ本人の能力ではなく、専ら秀吉との相性と姻戚関係により栄達した男・宇喜多秀家。そう書くと何だそれだけかで終わりそうだが、実はこの点にこそ秀吉の完全な「個人経営」という豊臣政権の性格がよく表れているのかもしれない。信長や家康に比べても、はるかに独裁の度合いが強い。秀家個人の物語にとどまらず、同時代の政治状況を大きく照らし出す、読み応えのある一冊と思う。
Toska

秀家本人が恐ろしい勢いで栄達していく一方、実は宇喜多家としてはほとんど領知を増やしてもらえなかったというのが何とも言えない。これって実は「やりがい搾取」なのでは?家臣の間で不満が溜まるのも不思議はない。秀吉ももうちょっと気を遣ってやれば…大和大納言の旧領とか、色々あったと思うのだが。まあ、その辺りがいかにも秀吉で、秀家個人の忠誠心をつなぎとめることしか頭になかったのだろう。

03/18 20:10
Toska

宇喜多騒動後に大抜擢される明石掃部が、それまで「客分」の立ち位置で政治に関わっていなかったというのも面白かった。他家にも同じような存在の人々はいたのだろうか?彼クラスの重要人物でも本名さえ伝わっていないのだから、史料の世界は厳しい。

03/18 20:14
0255文字
ハル牧
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天下人秀吉が自身の死後を託した「五大老」の一角である従三位中納言宇喜多秀家が、関ヶ原の合戦に敗北したのは29歳の時である。著者が指摘する、秀吉から厚遇された秀家の権力基盤の「特殊性」と「脆弱性」を考えると、関ヶ原の直前まで揉めた「宇喜多騒動」の理解が少し進む。この貴公子は八丈島配流後、何を思ったのであろうか。
0255文字
チューリップ
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宇喜多秀家の生涯を追いかけた本。個人的には八丈島に流されてからの生活とかどうだったのか知りたいなと思ったけど断絶しているし資料もほぼないんだろうな。現代基準で考えたら多少不便に感じても普通に暮らせるだろうなと思うんだけど息子が精神的に病んだという描写を見たら先がどうなるかも分からない暮らしだろうし昔は本当に辛かったんだろうなと感じる。長生きした秀家は結構逞しかったんだろうなと思った。
0255文字
katashin86
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五大老の一人、岡山城の築城者であり、関ケ原後の八丈島流しも有名な宇喜多秀家の事績を誕生からたどる評伝。 秀吉の天下統一に至る道のりのその始めを支えた家の跡取りとして与えられた妻と引き上げられていく家格、対して毛利一門との微妙な関係の中で広がらない領国、実のないままの高すぎる立ち位置の中で懸命に努力する秀家の姿は切ない。 それでいて、関ケ原敗戦ですべてを失ったあとの逃亡潜伏、八丈での長い余生と、落ちぶれてからの秀家にはただのボンボンにはない執念・しぶとさが感じられ、この不思議な貴公子への興味が増す。好著。
0255文字
ようはん
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次代の豊臣政権の重鎮として秀吉から多大な期待をかけられて優遇され可愛がられた秀家ではあるけど、結局若さ故の経験不足にそれを補える程の俊英でもなかった為にその期待には応えられなかった感。家中のゴタゴタの最中に後ろ盾である秀吉と岳父の利家を相次いで失い、八丈島に流された後も息子が精神的に病んだりと不幸が多いんだよな。
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田中峰和
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宇喜多秀家は関ケ原で敗北したのが28歳の時、縁者を頼り除名嘆願するも6年後に八丈島に配流となった。父直家のおかげで30万石の大名となり、妻の豪姫(樹正院)が秀吉の幼女でお気に入りだったことも追い風となった。なんの実績もないのに、権中納言に任官、家康らと並ぶ五大老となる。豪姫が狐憑きに病んだときは秀家も焦っただろう。嫁が死ねば秀吉の贔屓は終わり政治的地位の維持は困難になる。指導力不足を補うため、秀吉は家臣団の叙位任官を勧め、主従関係を確立させた。まさに恩人の秀吉を裏切れない結果が50年の流人生活となった。
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サクヤ
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「宇喜多氏の存在自体が毛利氏への牽制として働いた。また秀吉の養女かつ前田利家の実子である樹正院を正妻としたことで、秀吉の全面的なバックアップを得られ、大名としての権力確立につながった」云々は納得いく流れではある。秀吉のおかげで高位高官になる一方、各地での転戦ではこれといって戦績を出せず朝鮮出兵で軍功をあせる云々、秀家自体に能力・実績があって出世したのではないという悲しさ。八丈島の話は最初に触れてた割には、エピローグだからか尺的には少ない。ただ、具体的な物資の内容や送付手順とかが載っていて興味深かった。
0255文字
kawasaki
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なぜか五大老の一角にいる秀家。その「なぜ」を探るため史料に分け入っていく。宇喜多家レベルでも実証的に跡づけようとすると、人物の実名、死亡・結婚の日付等基本データからわからんことだらけなのだなあ。加賀藩の史料が多く引用されているが、生き残って史料を編纂保存できた大名との違いを実感できる。宇喜多家あるいは秀家個人のいた位置の特殊さと、それゆえの栄華と弱さ。宇喜多騒動当事者双方の見方が興味深い。加賀藩の八丈島支援の実際も検討し「美談として語られがち」な物語の裏面にある冷ややかな部分(前例踏襲主義)にも言及する。
0255文字
みこ
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関ヶ原関連の必須登場人物でありながらなぜ五大老の一人に選ばれたのかなど知っているようで案外知らない人物である。栄達の過程などを分かりやすく解説してくれるものの、反面、本来担うべき次代の豊臣家の主柱となる役割を果たすことはできなかった点を指摘される。読んでるこちらとしては何だかメッキが剥がれた気分になる。話は変わるが、朝鮮出兵は秀吉がボケたからという説もあるが、血気に逸る秀家にブレーキ役として老臣を付けた秀吉にその気配は一切感じられない。
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うしうし
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秀家が秀吉政権のもとで厚遇されたのは、秀吉に寵愛された養女樹正院を正室に娶ったためとする。樹正院はいわゆる「豪姫」であり、こちらの方が一般には馴染み深い名前であるものの、敢えて「樹正院」の名で記述を進める。樹正院の大病や宇喜多騒動、秀家の八丈島配流後の前田家支援の実態など、確実な史料に照らしての史実の解明は大変興味深い。宇喜多秀家を題材とした著者の著作は他にも数冊存在するようであるが、現状で最も優れた概説書で、文章も歯切れがよい。他の著作も読んでみたい。
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珈琲奉行
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ネタバレ宇喜多秀家が豊臣政権内で秀吉の縁者であったため、中立的な立場としての振舞いが期待されていた反面、秀家は秀吉の期待に応えるべく小田原出兵や朝鮮征伐などで戦功を上げようとしていたのを知り、辛い立場だと感じた。また、後年の宇喜多騒動で若いながらも明石掃部などを起用して秀家カラーを出そうと頑張ってた点は評価されるべき。さらに、秀家が能の三番演目が好みだったのは初めて知った。なお、岡山城の改修時期の議論や加賀前田家による八丈島配流後の秀家支援の分析など秀家を語る上で興味深い内容が盛り沢山だった。
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terve
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筆者は宇喜多政権の特徴として「特殊性」と「脆弱性」を挙げています。それは経験不足・実力不足を秀吉の威光で補うが、秀吉が倒れるとその全てが無に帰すということです。五大老の中でも扱いが軽いという指摘もありましたが、それだけ気兼ねなく扱えるという見方もできそうです。いずれにせよ、秀吉が転けたことが秀家にとっての不幸であって、それは何より実力不足であったことの証左かと思います。そういえば「宇喜多備前中納言八郎秀家。豊臣家の御危機を聞き、八丈島より泳 い で 参 っ た!!」と、こんなネタを思い出しました。
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サケ太
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五大老として、関ヶ原で敗北した大名として名を残す宇喜多秀家。彼の出生から(直家はあっさりめ)、豊臣政権で重用されていったのかが書かれている。豊臣大名としての秀家。宇喜多家の特色や騒動の起きた原因も興味深い。兄と対比して穏やかで慎重な人物といわれていた宇喜多忠家やその息子浮田左京亮の人物像が衝撃的。頼りにならないし、しないほうが良いというのは正しい。改易後の生活が続けられた理由についても答えが出ており、面白い。利用できるものは利用しつくしている感覚がとても良い。“宇喜多一類”の見方やその魅力に気がつけた。
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MUNEKAZ
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著者の前著『前田利家・利長』が面白かったので購入。秀家本は以前に渡辺大門先生のを読んだことがあるが、そこにあった宇喜多氏の出自や父・直家に関する部分はバッサリで、代わりに妻・樹正院について多くページを割いている。これが面白いポイントで、秀家の「貴公子」ぶりの後ろ盾となった豊臣・前田とのつながりや、没落後の前田家からの支援の理由が明確になっている。また頼りになるイメージの叔父・忠家に対して、著者が「短慮」と厳しい評価を下しているのも印象的であった(まぁ息子はいろいろとヤバい人物だしなぁ)。
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さとうしん
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五大老のひとり宇喜多秀家を、自身の功績ではなく、先代直家の功績と秀吉の養女にして利家の娘樹正院との婚姻によりその地位を得た「豊臣政権の貴公子」と位置づける。秀吉が没するまで若年による経験・力量不足を心配され、五大老への抜擢もその将来性を買ったもののようだが、秀頼政権が無事に存続すれば、吉川広家に嫁いだ姉が早逝しなければどうなったか想像したくなる。あるいは、樹正院の健在によって関ヶ原後も命脈をつなぎ、子孫代々加賀藩の支援を得られた現実そのものが奇跡的なのかもしれない。
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「豊臣政権の貴公子」宇喜多秀家 (角川新書)評価62感想・レビュー17