汪の後をついだ陳公博は自著と裁判における理路整然とした供述に同情が集まったし、冀察政務委員会から王克敏を支え、華北政務委員会の委員長を長く続けた王揖唐は「自分は銃殺にされるべきである」といったきり何ら弁明をせず、運命を受け入れた。
それに引き合えると、A級戦犯をはじめとした日本の戦争指導者たちの視界には、国体はあっても国民はなく、自分で責任を引き受けるという責任感もなかったように思う。戦争終結の判断に当たっては弱い立場の国民に犠牲を強いながら自分たちの特権的地位を守ることに汲々とし、輔弼の役割すら果たせずに聖断に頼る。裁判になってみれば、口々に責任逃れ。こういう連中を「日奸」として処断できなかったものかと改めて思う。 まあ、そういう連中に戦後も引き続き権力を与え続けてしまうあたりが日本クオリティなのかもしれないが。
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