形式:文庫
出版社:岩波書店
眩惑へと、書くことの方へと降りて行くこと。眩惑されることの、或いは書くということの深み、その広がりと膨大さの内へと落ちて行くこと。〈いかがでしょう、物語の抗いがたい力がそれほどの効果を生み出すということを、理解していただけるでしょうか。自分の想像力の生んだ主人公にいわば化身し、その結果、主人公の人生があなたの人生になり、架空のものである主人公の野心や恋の炎に身を焦がすまでになるとは!〉…物語はまさしくそのようにして書かれている。眩惑されたまま書き続けること、書くことそれ自体と化しさえするかのように。
〈この私はといえば、いたるところ刺繍だらけでありました。〉…輝かしく鮮やかな色彩と光沢、光の眩さと煌めき、夜の濃さと妖しさ、広がり、交錯し、枝分かれする、その刺繍の美しさを読む。そしてネルヴァルといえば『幻視者』も読みたいところ。金井美恵子が書きたい自伝の形として〈ネルヴァルの『幻視者』の、レチフ・ド・ラ・ブルトンヌについて書いた「ニコラの告白」〉を挙げていた。〈他人のも自分のもごっちゃに縫いつけた自伝的要素や語られた記憶のクレイジー・キルトのようなもの〉…。
ジェラール・ド・ネルヴァル(1808~1855)の名はかねがね知っていたが、読むのは初めて。ウンベルト・エーコが絶賛していたし、プルーストも高く評価していた。本書…本作は、小説、戯曲、翻案、詩を一つに編み上げた作品集である。ギリシャやローマの古典や旧跡を知悉しているとネルヴァルの世界はもっと奥行き深く楽しめただろう。自分の素養のなさを呪うばかりである(むろん、豊富な注釈は施されている。地図も)。
長文レビューはこちら。 https://www.honzuki.jp/book/286420/review/257953/
「オクタヴィア」はひと夏の甘い思い出を長い恋文で表すのに対し、相手に待ち受けていた人生の刻苦がほんの少ししか語られないのが、ほろ苦さを与えている。とはいえ、この作家は自分の過剰に美化された思い出が多い。そしてそれが破れると本当に苦い部分から目を逸らす部分にどうしても引っかかってしまうのです。
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