和室の床に足を入れる穴を作り、その上に卓袱台を載せる方法がある程度流行していることを偶然発見した。 私は42年前、最初の家で苦心してこれを完成させた。 これではまだ背中が休まらない。
戦後の日本の変化の原因の分析 (一例: 戦後の西欧礼賛と消化不良から、悩み、批判意欲喪失。西洋参入が自分たちの為になると考える故に固有の文化遺産を捨てることを望んだ。)など、日本人以上に鋭い洞察。 リーチの周囲の人との関わり方から、人柄も窺い知れる。 益子の絵付士皆川マスさんのエピソードもほっこり。 そして、何より個人的に思ったことは、リーチは、濱田を友人としても陶芸家としても非常に尊敬しているようだ。
これは、「私は、新たな見方で東洋回帰の意識がひろげられるとき、正しい方法で、いかになされうるかの例証として、濱田を、彼の作品を、益子の暮らしの場を捉えるのだ。」や 三笠宮様の対応をした際の濱田のエピソードを「これは型破りながら不作法ではない濱田の特性を示している。」という記載から推測である。 以下私的備忘録: リーチの言う日本四大装飾家:光悦、宗達、光琳、乾山 気になる窯: 布志名焼、小鹿田焼、丹波焼
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