形式:Kindle版
出版社:フィルムアート社
形式:単行本
最近、ある芸人がエレベーターで女性に怖がられてムカつくというツイートをしたことがあった。女性が殺されるのを恐れ、怯える横で、男性は恥をかかされる、警戒されることが辛いという”被害”を訴えていた。被害の次元が違い過ぎること、非対称さに驚いたが、本作も然りかなという感じ。
私も著者と同じく、レディースを好んで着ている。メンズを着ると周囲から浮かないので安心できるが、喜びはない。着ることを強いられている悲しみを感じる。一方、レディースを着るとハッピーな気持ちになるが、同時に周囲からずれているという精神的苦痛も伴う。トイレも男女兼用しか使えないので困る。メンズを着ても、レディースを着ても、葛藤が起きる。この傾向は思春期の頃から始まった。それ以来「男らしさ」はずっと課題であり続けている。
「男らしさ」にはほとんど反発しかない。しかし「男らしく」ふるまわないでいる度胸がない。髪を伸ばしてかわいいヘアゴムで結び、レディースを着て外出できたのは、実に30代も半ばになってから。憧れ始めてから20年もかかってしまった。私が男らしくふるまうのは「カッコつけたいから」でも「異性にモテたいから」でもなく、周囲から浮かないためなのだ。書いていて悲しくなった。
草食系とか日本の情報も書いてある。男性は泣くなと育てられる傾向があるが、オリンピックと高校野球は泣くのをおおっぴらに許されている(何なら美化されてる)よね。そのレベルというか、スポーツや勝敗でしか泣けないのもなんだかなあ。普段から大したことないことで泣いていこうぜ。私も結構泣きたいほうなので。
読めたのが怖かった。これでは、男性が男性学に目覚める前に、新しい男性のロールモデルに「他の性に都合の良いもの」が据えられるのではないかと危惧してしまう。例えば私は「男ならおごれ」とか「告白するのは男から」という言説は聴くだけで萎えてしまう。しかし、こうした言説は男性が男性省から指示書であるが、それは、男性省と"女性省"の「契約」に基づいて発せられたものであると思えてならない。当たり前だが、女性は、女性にとって有害な男らしさは嫌うが、男性自身には有害であっても女性には有益な男らしさは変えようとしないだろう
■この本では「男らしさから降りろ」とは言うが、男らしさから降りることは、男らしい「自己決定」では達成できない。権利は他者に認められて初めて権利なのだから。女性省の改革と同時に行うべきなのでは、と思う。■この本はユーモアたっぷりに書かれているが、ちょっと他罰的。敵対的に読もうと思えば読める仕掛けが満載。■あと、女性の描き方が単純。女性だって感情を素直に語るのは苦手な人は多いし、女性同士のコミュニケーションは「女性省の監視のもと」なのだから、「男性は孤独、女性は仲間が多い」みたいな書き方はどっちにも失礼。
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最近、ある芸人がエレベーターで女性に怖がられてムカつくというツイートをしたことがあった。女性が殺されるのを恐れ、怯える横で、男性は恥をかかされる、警戒されることが辛いという”被害”を訴えていた。被害の次元が違い過ぎること、非対称さに驚いたが、本作も然りかなという感じ。