形式:単行本(ソフトカバー)
出版社:亜紀書房
ヴァイマール共和制では、全ての政党が準軍事組織を持っていたので日常的に暴力行為で死者が絶えなかった。議会が安定政権を成立させれなかった1933年、最も力のある政党の党首を選ぶ以外にどのような方法があったのか、誰一人、ヒトラーの最大の敵でさえも分からなかった。そして1933年1月30日、ヒトラー内閣誕生、翌2月27日、国会議事堂炎上。翌朝、内閣は緊急事態に乗じて「議事堂炎上令」と呼ばれる大統領令の発令で憲法は骨抜きされ、共産党に対する大弾圧が始める。更には国会が全ての立法権限をヒトラーの政府に移譲する
「受権法」が成立。ここにヴァイマール共和制は壊滅してしまった。長いレビューで申し訳ない。
本文から)1928年から29年にかけて起きた出来事、シュトレーゼマンの死、フーゲンベルクの浮上、地方の不満、コミンテルンによる第三期宣言、産業界と共和制により制約を受ける軍部のいらだち、ナチ党の地方の州議会選挙、更には国会議員選挙での成功は、ドイツが戦後の国際社会への統合に完全に背を向けたことをしめしている。同様に1920年代末のドイツ経済に起きた出来事は、経済を壊滅状態にした。1928年までは好調に推移していた関連性のない経済や財政のいくつかの傾向が一つに収斂していった。
最後の引用はエドガー・ユリウス・ユングが書いたパーペンの演説から。扱うのは第一次大戦前後からヒンデンブルクが死んでヒトラーが「総統およびドイツ国首相」になるまで(1939年)。
本当にどうでもいいのですが、「長いナイフの夜」のところで、突撃隊は本当は巻き添えくらっただけだったんだけど、突撃隊が嫌われていたから粛清されて政権の人気が回復したというようなことが書かれていて、突撃隊よ……という気持ちになりました。あと、政治闘争が本当に薄氷を踏むようで、胃が痛くなりそうでした。怖い……。そしてパーペンの評価がかなり低いんですが、ほかの本を読んでもそんなものなのか気になりました。「モラルが低い」とか書かれるのってなかなかですよね? 卑しくも一国の首相様だったのに。
実は当時のドイツはそれほど選択肢がなかったのではないか?と思わせますよね。共産主義が政権取ったら世界はより酷い事になった可能性もあるわけで
④ とびきり重要な時期にとびきり無能かつ無責任なパーペンが首相に就任した。
もっと検討の余地はあるが、ポルホトほどでは無いが歯車が一つ違えばと思えなくも無い。ヒトラーが独裁できたのは必然と断じるには中々厳しいと僕は思うがどうであろう?
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