形式:単行本
出版社:集英社
形式:Kindle版
【反出生主義】<その思想は、人は生まれたら必ず苦しみを経験するのだから、すべての人が「生まれないほうが良かった」と考える。しかしそれは「誰にとっての」苦しみなのだろうか。もし生まれたその子が、誰かの支えとなり、誰かの喜びとなるなら、その子がたとえ苦しみを経験する運命を持っていようとも、誰かの喜びが、その子の喜びとなる可能性もあるのではないだろうか。/私は私の存在を超えて、見えない生命とも繋がっている。その厳然とした事実は、苦しみよりも喜びであると、いまの私にはわかる>。母の友人に取材した後の感慨である……
【そう。こういう本が、読みたかった!】<失われた人のことを言葉にし、誰かに渡すということは、生命の再生のようだ。私は母から渡された生命を、他の人とも共有したいと思ったのだと思う。子どもを産んだり、堕ろしたり、亡くしたり、あるいは子どもを持たないと決断せざるを得なかったり……あらゆる局面で女性たちに訪れる喪失と孤独を、誰にも話さず内に抱えている彼女たちと共有したいと。/私自身の虚無に深く降り立つ力をいただいたのだと思う>。「あとがき」のこの文章を読み終えて、想うこと――。本書に続く第2作を読みたい。切に!
(反出生主義の)思想は、人は生まれたら必ず苦しみを経験するのだから、すべての人が「生まれない方が良かった」と考える。しかしそれは「誰にとっての」苦しみなのだろうか。もし生まれたその子が、誰かの支えとなり、誰かの喜びとなるなら、その子がたとえ苦しみを経験する運命をもっていようとも、誰かの喜びが、その子の喜びとなる可能性もあるのではないだろうか。(296頁)
主体が消えていく場所で必死に言葉を編み出そうともがく姿はしんどく読みすすめるのに時間がかかるのに対し、後半に登場するドミニク・チェンの抽象化された明確で潔い男性的な思考に少なからず傷つく自分がいた。その違和感、軽さが逆に、この著者がずっと女性達と大切に語り続けてきた言語化できない思考のイメージにさらに重みを与えていて、著者もそちらへ戻ろうともがいている姿が伝わってきた。他者の身体性を共有することの難しさを感じるが、それでも言語でしか託すことができないし、言葉を信じるしかないのだと思う。
もちろんありがちな母性の神聖化を狙うものではなく、マザリングは母を行う、母的な性質、ということであり、性別はなく誰にでも開かれるべきであるということを言っている。
イ・ラン(生まない人)やドミニク・チェン(男性=生まない人)へのインタビューはよかったと思う(結局わたしが「生まない人」だからですかね)。著者がそんなに「母であること」や「いわゆる“母性的”であることを“母”と呼ぶこと」に執着しているのもはじめはよくわからなかったが、「自分の母親について書きたかった」ということに結着するのだなと納得した。
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