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誰のための排除アート? 不寛容と自己責任論 (岩波ブックレット 1064)

感想・レビュー
53

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てくてく
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公園や駅前、道路といった、不特定多数が利用する公共空間に、主にホームレスを念頭に置いて見えてほしくないものを見えなくするため(いなくなってもらうため)に設置されるようになった排除アート、一定期間以上滞在することを拒否する排除ベンチなど、直接的にはホームレスに、実際には彼らを含む社会的弱者、そしてそれ以外の人にとっても優しくないものたちを写真付きで紹介するとともに、その誕生過程などを考察したコンパクトなブックレット。問題提起として有益な一冊。
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ぱせり
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排除ベンチ、排除アートというものが、いつ生まれ、どのように広まってきたのか。それは本当は何の(誰の)ためなのか。ホームレスを公共の場から排除するために、横になって休めるベンチを置かない。子どもの声がうるさいから、公園から子どもの遊具を撤去する。次は誰に牙をむけようかとひっそり考える街。住みやすいだろうか。
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おおかみ
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ドラマ「不適切にもほどがある!」最終回のメッセージは「寛容になりましょう」だった。念頭にあるのはコミュニティーにおける対人関係だろうが、不寛容は都市空間のデザイン/アートにも現れている。路上生活者を排除してきた歴史は海外も同様だったようだが、子どもさえも公共空間から追い出されてしまう日本社会はより深刻であると感じる。なるほど意識しなければ街中のベンチのデザインに目が向くことはなく、知らず不寛容に飲み込まれていることに恐怖を覚える。白か黒かで論じるような単純な問題ではないにしても、気付けるだけで全然違う。
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またの名をソラリス
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誰にでも優しい街づくりはなぜ出来ないのだろうか? 日本が金銭的にも政治的にも貧しいということなのだろうか? 排除は対処療法的な解決にすぎず、本来は貧困をどう解決するかにアートの力を活用すべきではないのか?
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読書一郎
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座面に仕切りがついているベンチ。地下街の壁際に並ぶオブジェ群。これらは、ホームレスの人が寝そべったり、ダンボールハウスを作ったりするのを防ぐための「排除アート」である…言われてみると、最近、仕切りがついているベンチをよく見る気がします。これらは都市の多様性や優しさを奪うものである…考えさせられる内容でしたが、著者自身はパリ生まれ、東大卒の大学教授。現代の「格差社会」の恩恵を受けた側の人ですね。そういう意味で、岩波型知識人の欺瞞と限界を感じる本でもありました。
tamami

本書は未読ですが、レビュー後半の文章について考えさせられました。様々な場面で同様な事例に遭遇するような。

04/18 17:01
読書一郎

tamamiさん ありがとうございます。柄にもなくきつめのレビューを書いてしまいました。私も、最近いろいろな場面で遭遇している気がしています…自分が年を取ったというだけなのかも、と思うこともあります。

04/18 19:49
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Keiko Yamamoto
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ネタバレ排除ベンチは拒否のデザインである。ホームレスを排除する。たむろする若者を排除するという目的で作られた排除ベンチは、しかし、高齢者、妊婦、体調の悪い人も排除する。実は3.11のとき、家に帰れなくなった多くの人たちが仙台駅で困っていた。仙台駅及びその周辺には多くの排除ベンチが存在していた。結局ホームレスを排除するベンチは、非常時においては一般人に対してもやさしくない。子供の声がうるさいという苦情によって公園の遊具が撤廃され、保育園や幼稚園も近隣住民が拒否する。少子化が深刻という社会に逆行する住民の自己中。
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きゅー
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今では公園に設置している椅子に寝そべり防止枠が付いているのが普通になってしまった。それを見てもすぐにはホームレス対策とは思いつかない。なぜこのような国になってしまったのか。根底にあるのは、自己責任論と他者に対する不寛容なのかもしれない。私たち健康で帰るべき家を持つ人々は社会的多数派だ。しかしそのことに安心し、少数派の人々を圧迫する時、実は自分たちの生活をも脅かしている可能性がある。大地震の時、生活が困窮した時、体調が悪い時、そうしたときに初めてようやく何が起きているのか気づくのかもしれない。
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阿部
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岩波ブックレットなのでさらっと読める。論の展開というより、都市から見て取れることを著者が徒然と書いているのだけど、ベンチ・オブジェ・都市空間設計そのものといくつかの段階に分けて排除の工夫を論じているのはよかった。そもそもベンチを置かなければ寝れないということにも気づきにくい、など。都市空間の公共性についてはもっと掘り下げて考えていきたい。
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haimaki
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★★★★★
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アディル
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人間の疎外といえば一言だけれど、私、そして他の公共空間を使用し得るすべての人々に向けられた敵意/害意が、笑顔に糊塗されているのはおぞましい。
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のりのり🍳ぽんこつ2𝒏𝒅
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確かに駅や街で見かけるベンチは寝そべられないように仕切りが付いていることが多い。また雨風を凌げるようなスペースにはよく分からんオブジェも見かける。いずれもホームレスなどを居座らせないようにするためのものだが、結局一般人にとっても優しくないものだったりする、何なんだよ!こんなのアートでも何でもないからな!という内容。うん、分かるよ、分かる。もし自分がホームレスとなった目線で見ればキツイいじめのようだし。じゃあどうすりゃいいの?については明言されてないが、まずは都市の不寛容を知ることから意識を変えようってこと
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プリン大魔神
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だんだんベンチに仕切りが出来るようになったのは気付いていて、多分ホームレス対策なんだろうと思っていた。この本を読んで、排除アートはホームレスだけでは無く妊婦さんや小さな子連れの方、一休みしたい人など、広い範囲で人を拒絶しているのだと分かった。 何にせよ、あらゆる所が不寛容になっていって息苦しいですね。人は誰しもが昔は赤ちゃんで、いつかは老い、病むものだし、人生はいつだって順風満帆とはいかないのに。
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h1r04
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エッセイ用
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皐月
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ネタバレ何年前に目にした文章題のお題が排除アートだった。その文章題の出典の本を探しているのだが、これではなかった。探し物ではなかったけれど、読みやすくて興味に沿っていてよかった。
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tsukune
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確かに、ちゃんとしたアートには名前や作出年がかかれているのに、これらにはないよね🤔と思っていた😲 作者の顔が見えないから、不気味だよなと🤔🤔 しかしこれを受注してデザインさせられてる人も、ノンポリじゃないとやってらんねえだろうな🤔
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h_hukuro
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ホームレスの排除を「アート」という何だかよく分からないがいい感じの言葉に包んで作られるベンチや創作物。人によっては本作を読んでも何が悪いのか理解できない人もいるであろうし、そういった人が排除アートを求めているのだと思います。
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tkm66
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必要あって再読
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hm_mikarin
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ネタバレ寝転べないベンチは不寛容の現れ。そもそも、ホームレスが福祉で救済されることがない、この社会が恐ろしい。
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はむ
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見慣れた街の風景を、排除溢れる空間として捉えることのできる視野をインストールすることができた。
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やん
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ネタバレ具体的な例が浮かばないけれど、なんでこんなところにこんなオブジェがあるのかなとか、この椅子座りにくいなとかいうことは確かにあった気がする。「アート」という言葉を使うのは著者の言う通り適切ではないように思う。この社会はいつからこんなに不寛容になったのかと思いつつも、かつては寛容であったというわけでもなさそうだ。世の中を見る解像度があがったり、不本意ながらも「排除アート」と名付けたりすることで、今まで見えてなかったことが浮かび上がってくるのかもしれない。女性ホームレスを襲った男が自殺していたとは知らなかった。
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えりまき
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2023(146)やりきれない。公園のベンチの仕切りはホームレスが眠れないようにあるというのは聞いたことがありますが、お金を使うなら仕切りを作るのではなく、ホームレス支援に使って欲しい。臭い物には蓋をする社会はただの弱者いじめ。
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hryk
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排除アートとNIMBYはわけて考えるべきではないか。
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あずき
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「排除アート」が増える街は住みやすいのか。述べられている通り、ホームレスを別の場所に移動させても解決はしない。被災者にとっても過ごしにくい街になるだろう。解決するにはどうすべきなのか。
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 いんきゃ犬
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追廻周辺は排除により形成された
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レキオス
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公共の場にある排除アートとパブリックアート、一番簡単な見分け方は作った人の署名。アートなら作者がわかる。排除アートは作者がわからない。
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おくら
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ベンチやオブジェに限らず「排除」は日常の風景にまぎれ「当たり前のもの」になっている。 そこから排除されている人やそれをおかしいと思う人たちは「排除するな」と様々な声をあげるけれど、そこに受け入れられている人や排除されたくないならそこに溶け込めるよう努力するのが当然と考える人にとっては、自分たちの「当たり前の日常」に難癖をつけているように感じるのかもしれない。
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紫苑
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幡ヶ谷の野宿者殺人事件で注目を集めた間仕切りのある排除ベンチや、横になる妨げとなる排除アート。日常的に排除されるのは野宿者だが、体調が悪い、怪我をしたなど、日頃は他人事と思っていても、誰もが簡単に排除の対象になり得る。後付けの仕切りは見た目にも醜悪だが、デザイン重視でそれと気づかせない設置物はさらに悪質でさえある。一方で最近、排除デザインの発注に対するささやかな抵抗として、仕切りを後から取り外せるベンチもあると聞く。弱者の排除に目をつぶれば、やがて自身が排除されかねない状況がすでに来ていると思う。
紫苑

34ページに取り上げられた横浜市だが、TICADなど国際会議が開かれることもあり、排除はそこここに見られる。中区大通り公園のベンチは止まり木のようで、健常者でも休まらない。通行の妨げでも何でもないバス停の私設ベンチが市によって撤去され、代替が設置されない例もある。一見小ぎれいな町は、行政には好都合でも、弱者、ひいては市民にとって住みづらい町だ。

01/15 21:00
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MOKIZAN
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公共エリアでの野宿者の常在を排除するために、通行者から違和感無い程度にデザイン成型された設置物。それと知って見てみれば使い勝手は悪いし、その存在自体が街の美観に負の影響をもたらしているはずなのに、対象物者の視界からの排除によって、声にする程の事でもないように受け入れられている。最早当たり前化した「あれダメ、これもダメ」公園と目的は同じですね。背面に馴染まないパイプスタンド、見た目には分からない程度の傾斜をつけたベンチ等、結局は如何なる人々をも排除出来るんだと、施工者側は踏んでるんでしょうね。
0255文字
lovemys
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排除アートという言葉を知って読んでみて驚いた。ホームレスの人々がいられなくするために何億もかけて排除する。そして排除された人はどうするの? 根本的な解決にならないものになぜこんなにもお金をかける? アメリカでも排除アートはあるというが、ホームレスの支援施設や移民、難民施設もある。イギリスでもホームレスの取締はしているが、施設に入ってもらうための取締。日本にはホームレスのための宿泊施設など、国や自治体で提供してるのかな? 行き場がないものを排除するのはどういう意図からなのか。ただの意地悪にしか思えない。
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coolflat
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ベンチは座るためのものである。だが通常は複数人で座る事も想定し細長くなっている事によって、その上部で寝そべる事も可能だ。これは本来、意図されていなかった用途かもしれない。だが行き場を失ったホームレスにとっては冷たい地面の上で寝ないですむ台として活用できる。そこで座るという役割だけを残して、寝そべる事を不可能にしたのが仕切り付きのベンチだ。ベンチを寝床がわりにするホームレスの人が増えた98年頃からつけるようになったという。90年代から自己責任論が跋扈し、ホームレスは迷惑な存在として排除の対象となったのである
coolflat

29頁。近隣住民の要望によって、公園にホームレスがいることが目障りだ、もしくは不安であるという課題に対し、なるほど排除ベンチは役立つ。ただし、それでホームレスがいなくなるわけではないから、社会問題の根本的な解決にはつながらない。だが、「ビッグイシュー」という路上の雑誌販売のシステムをつくることによって、ホームレスの収入源をつくり、自立を支援する試みは、広義の意味での社会デザインである。20頁。路上や公園をめぐる排除の動きは、可能性としてわたしたちの生存がかかっているという点で、わたしたち自身の問題なのだ。

01/01 13:28
coolflat

48頁。隣接する公園の子どもの声がうるさいという苦情を受けて、ブランコやジャングルジムなどの遊具を撤去する事態もすでに発生している。実は公園においてストレッチやぶら下がりなど、高齢者向けの健康遊具が代わりに増えているという。まさにシルバー民主主義だ。そして「児童公園」は「街区公園」に変更され、ボール遊び禁止や大声を出さないなどの注意事項が増えている。日本の少子高齢化に伴い、公園のサービスを変えたとも言えるが、こうした対応は公共空間からの子ども排除ではないか。

01/01 13:29
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0255文字
な
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60ページほどですぐ読めて、前提知識ほぼ無しでもわかりやすい。40代の人にこの本の話をしたら、子供のころホームレスがいて公園で遊べなかったと。みんな疎んでいた、ホームレスになりたくてなってる人もいると言われてびっくりした。だから追い出したり座りにくいベンチをつくったりするのはいいのか?自分が排除されていたから、不快な他人を排除するのも当然と思っている人は意外と多いかもしれない。
0255文字
乱れ蝙蝠
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読んでて、非常に胸糞悪くなった。ストレートには書かないが、寝るのが不可能だったり座りにくかったりで、一番の弱者のホームレスに、「お前の居場所など無い」と無言で告げる排除アート。陰険な日本社会を象徴しているようだ。安全や上部だけの快適さを追求した結果、誰にも優しくない冷たい町の出来上がり。恐ろしい皮肉である。違う目線で見れば、町は冷たいメッセージで満ちているという箇所にはハッとさせられた。誰にでも優しい、誰でも受け入れる公共空間を作っていかなければならない。安直に排除に走れば、自分たちの首をしめるだけだ。
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おっとー
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昨今、空間をめぐる権力性はよりしたたかに、そしてよりさりげなく現れる。その最たるものがホームレスを排除する手すりや仕切りのついたベンチであり、しかもこうした排除の目的は限りなく希釈され、むしろ「アート」としての側面が押し出される。しかし、こうした排除アートはホームレスのみならず、多くの人々をも排除しうるし、公共的な空間であるはずなのに人間を追い出していく。普段街中を歩いているとベンチは少ないし、ごみ箱も少ないし、球技のできる公園も少ないと感じる。そんな公共空間なんて、誰が望んでいるのだろう。
0255文字
チェアー
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筆者の言うように、排除とアートをくっつけるのは矛盾している。アートは排除という概念を「排除」するものだから。排除されるべき人を認定する社会は、自分が排除されることを認める社会だ。 排除される側になるかどうかは確率の問題なのであって、自分ごとなのだから。
0255文字
HANAE
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読了、「ホームレスに優しくない街は弱った状況にある全ての人に優しくないことと同義である」「ベンチが排除の意図を持つだけでなく、道や手すりや段差の意味の再構築を拒むデザインが遍在する」「空白のあるデザイン、自由に使途を編み出しうるデザインを増やすことが必要」などの趣旨。排除の意図が見え透いたデザインを突き詰めると「最低限のスペースしかなく、あとは何も置かない」がまかり通る。「公共財」がどんどん形骸化していっているんだな
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けんとまん1007
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まさに、今の時代の象徴。SDG’Sとか、ウェルビーイングとかを推進しているようで、それは、あくまでファッションの一部であり、表面的ではないかと思っている。この愛所アートに象徴されることを隠すためではないか。排除を前面に立たないような表現であり、却って、底意地の悪さがある。分断すること、場所を無くすことは、いずれ、その対象が広がっていく。意識してもあれば、意識ないままの場合もあるのかもしれない。寛容の精神を、少しでも取り戻すにはどうすべきかを考えたい。
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アカショウビン
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「排除アートは、作者が表現を行うためのアートではなく、ネガティブな機能をもつデザインなのだ。」その昔、名古屋の伏見という地下鉄駅から歩いて行くと、白川公園周辺は難民キャンプのような状況で、そこを抜けると名古屋市美術館があったのだ。そういえばあのキャンプ村はどうなったのか?調べたら17年くらい前に撤去されたらしい。そういえばデザイン博というのも名古屋であった。単純におしゃれな感じかな、と思っていたが、ネガティブなデザインの探求にも熱心だったのかな。途中、赤瀬川原平さんのハイレッド・センターが登場している。
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みさと
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公園のベンチは今や寝そべれない、ホームレスを排除するためだ。駅や地下街の通路は突起物だらけのオブジェが場所を塞いでいる、段ボール小屋を掛けさせないためだ。階段の手すりには突起部が、スケボーをさせないためだ。公園から遊具が消えている、子どもを遊ばせないためだ。特定の層に対して公共空間を閉ざす目的で設置される「排除アート」、いつから、なぜ設置されたのか、その歴史・背景をひもとき、日本における公共空間の問題点を浮き彫りにする。今やお年寄りや妊婦も休める場所がなく、災害時に帰宅できなかった時も寝られる場所はない。
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aoi
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書き忘れていた(´⌒`。) かなり面白かった!筆者の他の本も読みた〜〜〜い。 言語以外の方法で不寛容を表現して勝手に押し付けてくる、しかも「アート」という体で街中にシレッと増えて居座ってる。悪質と感じます。 五十嵐太郎(2022)「誰のための排除アート?ー不寛容と自己責任論」岩波書店
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誰のための排除アート? 不寛容と自己責任論 (岩波ブックレット 1064)評価75感想・レビュー53