形式:単行本
出版社:新潮社
形式:文庫
形式:Kindle版
昔、文学は意味に溢れていました。要は科学的合理性の信奉です。しかし、それが第一次世界大戦の際に、何にも役に立たない、空疎な力に過ぎなかったのだと証明されてしまった。そこからダダ・シュルレアリズムと変化していって、やがては第二次世界大戦を経て、大量生産・大量消費システムの中で、失われたヒューマニズムを描こうという試みに変化していきます。今はインターネットの影響で希薄となってしまったヒューマニズムの所在と未来を描こうというテーマが強いと思いますが、いったいこの作品は現代に適しているのかというと、
全くそんなことはないという印象です。ただのコスモポリタンなイメージは答えにはならない。それは問題を回避して、上澄みの綺麗な場所を泳いでいるという印象です。ただそういったイメージも、全く役に立たないというわけではなくて、ひとつの答えになるのだとしても、やはり何らかの作者の回答をイメージの中に含ませなければいけない。そこで初めて内容=文学の議論ができて、そこでイメージや雰囲気が役に立つ、というわけです。内容がなければイメージもただの空気のようなものでしかありません。
『楽観的な方のケース』『ショッピングモールで過ごせなかった休日』『ブレックファスト』『黄金期』『ブロッコリー・レボリューション』
「ぼく」は「きみ」が日本から、「ぼく」から、無断で逃げ出したことを怒りながら、「きみ」の話をまるで神のような視点から追いながらも、決して「きみ」という存在に追いつくことはできない。「ぼく」が送り続けるメッセージに「きみ」が返信することはなく、「ぼく」は「きみ」の現状を知る術がないから。「きみ」と現地の友人ことレオテーの会話なども面白かったが(人類総ツーリスト化計画やミドルクラスに関する意見の交わし合いなど)、結局は語りの巧みさの方にばかり目の行く小説だったな……。ほぼ「ぼく」の想像の世界だし。
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