形式:単行本(ソフトカバー)
出版社:月曜社
「リズム」の共有が人間の言語活動の前提だとすると、90年代以降の日本で世代を超えて共有される「歌」がなくたってきたという時代の流れもむべなるかな、という気もする。共有される歌がなくなってきたのは、日本だけではないかもしれないけれど、英語圏の歌ではまだなんらかの形式で韻を踏むという伝統が残っていると思うので、日本語の歌ほどばらけてはいないのではないだろうか。
ちなみに本書の文体は、常体と敬体、書き言葉と話し言葉がおそらく意図的に混交されています。それが現在(いま)の日本語なのだ、とでもいうように。
鏡移しというのは、全体が九章設定で、たとえば最初1-1と最後9-3はともに國枝誠記の議論が参照されていて、2-1と8-3はともに美空ひばりが登場し、3-3と7-1はともに戯曲の書き方がされている。短いインタールード的な5章を挟んで、全体の章構成が鏡像関係になっている。この鏡のかたちがどのような効果を持つかは簡単には言えないが、読んでるとなにか眩暈に近い感覚に囚われて楽しくなる。そして、本書はリズムの強制的な共同性を、どのように受け入れ、どのように抗うかという主題を持つ。政治的な問いが本書の中心にある。
しかし、もう少しコンパクトで鋭い本にしてほしかった気がする読前感。
とりあえず、音と言葉の関係を探るうえでの必読書であることと、めちゃんこ面白いということは強調しておきたい。
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「リズム」の共有が人間の言語活動の前提だとすると、90年代以降の日本で世代を超えて共有される「歌」がなくたってきたという時代の流れもむべなるかな、という気もする。共有される歌がなくなってきたのは、日本だけではないかもしれないけれど、英語圏の歌ではまだなんらかの形式で韻を踏むという伝統が残っていると思うので、日本語の歌ほどばらけてはいないのではないだろうか。
ちなみに本書の文体は、常体と敬体、書き言葉と話し言葉がおそらく意図的に混交されています。それが現在(いま)の日本語なのだ、とでもいうように。