②(承前)☆ 本題と関係ないのだが,②番目のコラムで,傍目には中のよさそうなカップルがそれぞれ孤独を抱えており,ふたりは「寂しさを埋めあっているのではなく、寂しさを抱えていることを理解しあう関係なの」だという話が出てきた(同著75~76頁)。この関係性は『正欲』の主人公二人の関係性に非常に良く似ていると思った(だから「世間的な行為」の(自分達にとっての)滑稽さがあるから「去らずに待てる」のだ)。
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問題をその人の意思や人格から切り離し,問題そのものの原因へ対処していくナラティブ・セラピーの技法を「問題の外在化」というそう。ネガティブになった人がおかしな行動をとってしまうことを〈問題=妖怪に取り憑かれ行動を乗っ取られる〉というふうに著者は表現している。人間が自分の意思ではコントロールできない事象を憑依のメタファーで表すのは谷川嘉浩『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』と同様で,コンテンポラリーな人文・社会科学系の思潮が感じられた。
ほか,言う側・言われる側の地位関係によって愚痴が機能するとき/しないときがあること,メンバーが家の外での評価ばかり気にかけ家族へは無関心でケアがない家族を著者は「ドーナツ型家族」と呼ぶこと,なども参考になった。同著者の『依存症と回復、そして資本主義:暴走する社会で〈希望のステップ〉を踏み続ける』(光文社新書,2022年)も機会があれば手に取ってみたい。