形式:単行本
出版社:東京美術
キュビズムの理論化で有名なのが、アルベール・グレーズ(『浴女たち』)とジャン・メッツァンジェ(『カフェの踊り子』)で、この二人の作品はキュビズムっぽくて好きだった(描かれているモノが分かるものの混沌としている感じが良い。理性によって計算された逸脱を感じる。やっぱり人間って人間を描いちゃうからそれからズレるには知性がいる気がするの)。また、マルセル・デュシャンも含むデュシャン一家(『進行中の兵士たち』『大きな馬』『階段を下りる裸体No.2』)もキュビズムに力を入れていた芸術家らしい。
表紙がピカソやブラックじゃなくてドローネーの「パリ市」だし、章立ても取り上げられてる作品も「キュビスム展」と随分リンクするところがあるなあと思ったら、展示と同時期に刊行されてたんですね。
キュビスムの絵画は、絵心のない私にとって、どんなに時間をかけて見つめても幼稚園児の絵にしか見えません…。(^^;
drago @冬支度中。さん、アートは、主義に捉われず、自分の感性&好き嫌いで好いと思います(^_-)-☆
キュビスムという表現が何故生じたのか? という問いに答えられる人物は哲学者、文学者、既存の画家も含めていないですね。 セザンヌが元祖になっていますが、いわゆる「相対的世界」の徹底化です。 これは人類史上必然的流れの中で生じたもので、換言すれば事物を「公正」的に観るという一視点です。これが世界観となれば「虚無的世界観」と化し、今日の状況はその世界観に呪縛されています。
ピカソはセザンヌの展覧会を見て衝撃を受けました。彼の青の時代の作品群は「実存主義」的世界観の無意味が意味である、という観点に呪縛されていたからです。 さらに、己の為に原始的なニグロの彫刻から生命力を得ました。 その後は抽象表現へと至るのですが、これもまた虚無的空間で方向性を消失して殆どの画家は自滅か表現を止めるという事になります。 この「虚無」が真の自己認識、創造的表現のスタート地点です。
宵待草さん、こんにちは。コメントありがとうございます。今回の展覧会は、パリ・ポンピドゥーセンターが来年のオリンピックに向けて改修工事に入っているため、多くの作品が来日しています。以前ポンピドゥーセンターを訪れたことがあり、楽しめました。是非、この機会に展覧会を本書と共に堪能してください。山田五郎のオトナの教養講座は、続きもありますので、見てください。今日は比叡山に来ています。快晴で気持ちがいいです♪よき週末を!アキ
追伸 まぁ~比叡山!😲 移動に留意されて、楽しんで下さいね!💫 『山田五郎さんのオトナの教養講座』はチャンネル登録して居ますよ!🙋 感謝です!🍀 宵待草
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