形式:文庫
出版社:朝日新聞出版
この種の仕事で創られる知がインターネットとして現実それ自体になってしまった結果、時代が欲する知の形態は他のベクトルに変わったと思われる。
私(松岡正剛)の考える編集はワクワクする〈自由編集状態〉の実現にある。私たちはすでに投げ出された存在なのである。歴史のなかに投げ出されているし、生まれて自意識が芽生えたときにもすでにあらゆる先行性が準備されている。編集はその只中から出発をするトランジット・ワークなのである。①私たちはすでに名前がついている②私たちはすでに記述された中にある③私たちはすでに組織化されている④私たちはとっくに何かと関係づけられている⑤私たちはもともと制限をうけている。このようすでに投げ出された存在だからこそ自己編集化をはじめる
[大澤真幸の解説]編集工学とは情報を関係づける方法。編集とは宇宙の生成そのものを追体験するようなもの。編集工学の基本中の基本は〈アナロジー〉。それは「同一性←→差異」という振幅の中でなされる。アナロジーは「世界」を規定する限界、カギリとなる。世界(限界)を定めたことで逆に「これだけでない」外部の世界が立ち現われる。限界を意味する壁は、実は外に開かれ隙間がたくさん空いている。隙(数寄)のある境界をさだめると外部の情報が動き出しこちらにやってくる。「情報はひとりでいられない」「主と客の入れ替え」「ムスビ」
書いてあることは面白いんだけど、じゃあこれを読んでオマエは"編集"が多少なりともうまくなれそうか、と言われると結構難しい。(半分当然なんだが)肝心なところは説明されておらず(できず?)、体得することを求められている感じがする。ここに和風哲学というか、日本人である知識人のテイストを感じて私は好きなんだけど。
<自分のアタマの中で動いている編集プロセスを リアルタイムで観察しようというエクササイズである。すなわり、自分のおもいが流れているままに、そのプロセスを同時に観察するということだ> こう書き写していても、自分の頭では???となってしまう方法で、それをさらに進めて論じていく様に圧倒されました。 興味深くはあったのですが、今の自分には半分も理解出来たとは言えないので、いずれまた再挑戦したいです
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