日露戦後、山形の権力は後退197p桂の山県離れ199p 桂の戦後の大陸経営は秦の巻き返しを呼ぶ?伊藤懸念200p山県の権力外交は国力を超えた軍備構想に201p大逆事件…社会主義禁止法と窮民法ビスマルク的対応・南北朝問題210p辛亥革命⇔「尊王論者」山県は脅威213p大正政変「山県=桂」ではない。桂は新党・立憲同志会作り軍拡押さえるはいいが「勅命」に頼りすぎて顰蹙220p桂は日英同盟から「反山県」へ222p日露後は官界での山県の影響力後退222pWW1参戦に山県批判的⇔大隈は世論受け参戦227p
大隈の暴走・反袁政策229p山県の軍拡案は非現実的・19cの権力外交239pドイツ革命・ロシア革命に刺激された山県は森戸辰雄を弾圧253p 軍勝には普通選挙容認「軍の大衆化」原に期待256p近代国家は軍国主義であり、山県だけじゃない275p ポピュリズムと無縁の山県は二十一か条要求などから超然277p⇔大隈はポピュリズム政治家・二十一は「国民の意思」277p昭和の軍の台頭=山県は早計。政治対立から超然とした「天皇の軍」が山県の望み278p 天皇の政治利用をしちゃった桂は失脚282p
☆ ナイスありがとうございます。横レスです。私感ですが,もし高杉晋作が生きていれば山県有朋はその副官として長く使えたのではないかと思います。同じことは桂小五郎(木戸孝允)と伊藤博文との関係にも言えるかと。維新の第一世代と第二世代は絶妙なバランスだったと思いますが,薩摩の二人(西郷と大久保)も含め世代交代がやや早過ぎたのかもしれません。反面,近代国家としての成立期の混乱を考えるとこれも止む無しかとも思います。長文駄文失礼。
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