形式:単行本
出版社:朝日新聞出版
形式:Kindle版
ジャニー喜多川の性加害について、黙認がメディア界における権力関係に起因することを捉えつつ、所属タレントへの配慮がなぜ必要なのか(彼らは構造そのものの中にいた時点で被害者であった可能性が否めないという意味での配慮で、タレントの起用取りやめ云々は別問題)についても言及し、国連の調査報告に対するある意味偏った報道を通して日本社会における「人権」に対する認識そのものがこの問題(性加害があったこととメディアがそれを報じず社会もそれを無視し続けてきたこと、そして2023年当時の報じ方)の根源にあるのではと指摘する。
個人的に性加害問題を詳しく追っていたので、あの複雑な問題をここまで詳しく追って考え抜いていた人が業界内にちゃんといたことが分かってなんだか奇妙な安堵の念を抱いた。フジテレビがおこなった会見で、フジテレビの役員、一部の記者がともに自ら2023年の報道から特に何も学んでいないことを露呈しているタイミングなので得難い人だなとも思ってしまった。
著者は山上被告を批判する。「本来の敵でない安倍総理を殺し、敵を分裂させようとしたことは、旧統一教会に人生を奪われたと主張するよりもはるかに卑怯である。彼がやった行為は、旧統一教会が彼の家族にやった行為よりも、何倍も卑怯で悪質である」と。正直、私は権力者や巨大組織が長期間にわたって弱者を食い物にし、人生を崩壊させた方が、追い詰められた怒りのあまり人を殺した人よりもはるかに卑劣だと思うが。まあ、ここは意見の違いということでまだ分かる。しかし、著者は最後にこう書く。彼にこう問いたい。「ところで、お前は童貞か?」
冗談のつもりなのだろうか。アイロニカルな態度を気取っているのだろうか。カルトによって家族を破壊され、絶望している人にかける言葉ではないと思う。こんな不快な気分になったのは久々だった。もし彼がこれを「ネタじゃん」と言うのであればセンスないし、「僕は本気で言っている」と言うのなら人間性を疑う。もはや笑いのセンスもないし、権力風刺やブラックユーモアも下手。もうこの人、見れたものじゃないってのが正直な感想。
安倍元総理と再び話せる機会は永遠にない。非業の死をとげ、大切な家族のもとには二度と戻らない。その悲しみや喪失感は想像を絶する。きっと一生続くだろう。それはどんな気持ちだろう。その気持ちを一番良く知っているのは、山上、お前じゃないか、と私は思っている。突然、不合理に大切な家族を奪われた遺族の気持ちを一番理解出来るのは、お前じゃないのかよ」と痛烈に皮肉る。それでいて、太田は決して断言しない。断言どころか、彼は迷いを隠さないのだ。(つづく)
バッシングにムキになり反論するのではなく、彼はバッシングに迷うことを正直に吐露してみせる。なぜなら人は弱い存在だと太田は知っているからだ。人は未熟な生き物だと太田は知っているのだ。だからこそ、愛おしく、面白いのだと。そして太田は未来を信じている。それは面白いからだ。未熟な人間が問いながら、迷いながら作っていくものだからだ。迷走しながら書いたコラムを読む私達もまた、簡単にそれに頷くのではなく、大いに惑い、悩み、そして問えばいいと、本書は、太田は教えてくれる。
どんなに辛い人生でも社会に理不尽を感じて腹立っても、この時代のこの国で暴力ふるった時点でもうだめなのよ🙅♀️,,,,どんなに腹たっても言論で対抗していきたいと思う今日この頃のあたくし。知識つけるぞ〜〜!!!
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