高遠訳は、文意を明確にし、単語の指す意味を正確に示そうとする試みだと思います。しかし、そのために使う言葉の数が増え、プルーストの長文が更に長くなり、文章を読んでいてリズムに乗れないところがあります。フロベールやトルストイのような文書が延々と続くので、かなりシンドイところがありました。そのため、高遠訳は文意を知りたいときに引証するのに使うのにとどめ、他の翻訳に移行することにします。
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