音楽の起源は亡き人への悼みから発する「祈り」だと、どこかで読んだ事がある
「開催中の「坂本龍一展」を訪れた。故人の残像ではなく、何かのはじまりを見ている感覚になった。
無数の生命体が、坂本龍一というひとつの肉体を逃れ、おのずと空気に溶け、映像作家や俳優ら、表現者らの内側へ、そして観客へそれぞれに流れ込み、新たな住処を見いだしていくプロセスを見るかのよう。
亡き人の気配を実在のものとし、生きていく力とする。半年間再放送されていたNHK連続テレビ小説「カーネーション」も、そうした芸術の真骨頂を存分に示したドラマだった。主人公のモデルは日本のファッション界のパイオニア、小篠綾子さん。戦前戦後の厳しい時代を生き抜き、多くの大切な人を見送るさまが丁寧に描かれる。独りになっても、私はこれからも多くの宝、すなわち大好きな人たちと生きていく。そう宣言する、主人公を演じた尾野真千子さんの屈託のない笑顔は真実を宿してまぶしく、気高かった。
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坂本展を目指す行列の中、ロシアの前衛作曲家ソフィア・グバイドゥーリナさんの死の知らせが届く。
この人もまた、強くまぶしい、太陽のような芸術家だった。坂本さん同様、異文化の響きにも開かれていた。1931年、旧ソ連のタタール自治共和国(現タタールスタン共和国)生まれ。父はモンゴル系で母はユダヤ系。複数のアイデンティティーを子供の頃から自覚していた。その音楽は厳しい自問に満ち、躊躇なく楽器に人間の叫びを代弁させる。ショスタコービチを唸らせ、武満徹や高橋悠治ら気骨の芸術家たちが連なった。現代音楽界の第一線に女性が立つことも、当時は稀だった。
西欧寄りとみなされ、若くして旧ソ連の政権に睨まれた。生活の糧としての映画音楽の作曲とともに、即興演奏をよくやった。即興であれば、「反抗」の足跡は残らない。
80年代以降、ロシア人演奏家たちが西側に紹介し、ブームが起きた。ペレストロイカ後の92年、独ハンブルクへ。ロシア人のまま、ロシアの芸術を愛しながら。それもまた彼女が守ろうとした心の自由だった。
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坂本さんとグバイドゥーリナさん、2人の箏協奏曲を並べた「点と面」というCDがある。佐渡裕さんの指揮。箏独奏は沢井一恵さん。
沢井さんは90年代、知人の手引きでグバイドゥーリナさんが自身のスタジオを訪れた日のことを昨日のように覚えている。初めて見る日本の箏に夢中になり、弦をはじき続ける彼女に、「そんなに気に入ったんだったら、持って帰れば?」。新しいおもちゃを手にした幼子のように喜んだ。数年後、このCDに収録されている「樹影にて」が生まれた。
異なる調律が施された日本と中国の3種の箏を、沢井さんが独りで弾く。ぶつかり、ひずみ、歪む不安定な音像のなか、透明感を帯びたかつてない安寧の響きが魔法のように芽吹く。たちこめる硝煙の向こうに圧政の歴史がほの見える。佐渡さんの熱が命のうねりを紡ぎ、残響ひとつ取りこぼすまいとする沢井さんの気迫がグバイドゥーリナさんを抱きしめるかのよう。あなたを決して独りにしないと。ひとつの孤独な魂が新たな故郷を見つける瞬間を見る。
戦争や災害で束となって失われた命が、時を経て、丁寧にほどかれてゆく。その魂のひとつひとつと今、私たちはともに生きているのだということに、久しぶりの春の暖かな風の中で気付く。新たな命が循環する優しい季節に、祈りを新たにする。(編集委員 吉田純子)」
朝日新聞朝刊紙論説「日曜に想う」より
「元日に亡くなった俵孝太郎さんは、華のあるキャスターだった。産経新聞の政治部記者などを経て、フジテレビの顔になったのは1978年。「こんばんは、俵孝太郎です」というあいさつを、ビートたけし、タモリ、志村けんらがとぼけた口調でデフォルメし、小学生たちがこぞって真似(まね)をした。その後も名論客として、テレビ界に長く君臨した。
そんな俵さんは、実に鋭いクラシック音楽の批評家でもあった。東京都内の自宅で、幾度もその名口上を聴いた。世間の評判などどこ吹く風。独自に輸入盤を集め、聴きあさり、欧州の片隅で独り己の表現を模索する日本人演奏家に光を当て、音楽雑誌に書くなどして応援した。
格別の思いを寄せ続けた音楽家が、ひとりいた。山本直純。映画「男はつらいよ」の音楽で知られるが、指揮者としても才能を発揮した。山本のことを語る時だけ、俵さんのクールな仮面がぽろりとはがれた。「みんな小澤(征爾)ばかり褒めるけど、直純も本物だったよ」
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70年前後、労働争議で分裂した日本フィルハーモニー交響楽団の楽員たちが中心となり、小澤、山本の2人の主導で新日本フィルハーモニー交響楽団が創設される。政財界に広い人脈を持っていた俵さんは、楽団の運営を陰日向になり支援した。
その理由を尋ねると、山本の理想に心から共感したから、と俵さんは言った。「オーケストラを育てるということは、音楽家の営みを社会の循環に入れ、彼らが家族を養っていけるようにすること。直純は、音楽で真の戦後復興を目指したんだ」
72年、山本のアイデアでオーケストラの魅力をあの手この手で伝えるTBS系「オーケストラがやって来た」が始まった時も、助言を惜しまなかった。スポンサーは日本電信電話公社(現NTT)に。即決した同社幹部の遠藤正介は作家遠藤周作の実兄。邦楽好きの文化人だった。
固定電話の普及事業が本格化していた頃で、市内通話を3分7円から10円に値上げすることも検討されていた。TBSの提案に、遠藤は夢を描いた。公開録画で各地を巡り、オーケストラの魅力に乗じ、全国の利用者に電話をもっと身近に感じてもらえたら。啓蒙と宣伝、目的は異なるが、芸術への敬意が前提という一点で、両者は足並みをそろえた。
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俵さんは89年、昭和天皇の逝去を受け、追悼の音楽番組の制作に携わる。演奏は新日本フィル。すでに海外が拠点だった小澤は収録、山本はスタジオでの生演奏に臨んだ。モーツァルトの交響曲第40番ト短調。
ある日、俵さんの「実況」付きでその録画を一緒に見た。力みなく、柔らかく弾むタクト。何げない風情で繊細な弱音を存分に引き出し、鮮やかに奔流へ。「どうですか、巨匠の指揮でしょう。ああ、でもここはダメだ。テレビ的なサービス精神が入ってきちゃった。惜しいなあ」
この映像を今の多くの人に観てもらい、山本の再評価の機運をつくるのが俵さんの晩年の悲願だった。
テレビは、多種多様な領域の人々から「伝えたい」という心の叫びを託され、形にし、発信することで社会と結ばれてきた。大人たちの青臭い夢も、テレビという文化を育ててきたのだ。視聴者がいま渇望しているのは「楽しませてあげる」というおもねりでも、人気タレントの輝きの応酬でもなく、己の「伝えたい」に人生を懸けるテレビ人、ひとりひとりのまっすぐな気概のはずだ。(編集委員 吉田純子)」
朝日新聞朝刊紙「日曜に想う」より
天と地の間にあって
今年は不穏な風の吹きまくっていた
一年でした…
あと何回、末年を迎える事ができるのやら
皆様、本年もお世話になりました
良いお年をー♥
https://youtu.be/WHihncJbs0c?si=RC3rYjOA6fAGr1LD
武満徹
(1930年10月8日〜1996年2月20日)
合掌(=^・・^=)
https://www.facebook.com/share/p/aXQLNkPmJ4vebzSk/
「小澤征爾さんの訃報が届いた。西洋の名だたる交響楽団や歌劇場で一時代を築き、日本の音楽家として突出した成功を収めた人である。
指揮者という稀有な存在の意味について、改めて考えずにいられない。
音楽の歴史は古いが、職業指揮者が登場したのは19世紀以降のことだった。楽器を持たず、音一つ発することもない「音楽家」の存在を疎む風潮もあったと聞く。
それがいまや、「悪いオーケストラはない、悪い指揮者がいるだけ」などと言われるほどの重責になった。時に100人もの個性の強いプロの奏者たちを率いて音を操り、すべての責任を引き受ける。
そんな厳しい世界で小澤さんが名声を得られたのはなぜだろう。膨大な勉強量、楽曲を深く理解して独自に表現する力、魅力的な人柄。理由はいくらでも挙がるだろうが、同じく世界の第一線で活躍し共演もしたピアニスト・内田光子さんの言葉が印象的だ。
「小澤さんは、とにかくものすごく指揮がうまい人です。本当に『極端にうまい』と言っても良いくらい、指揮がうまい」。そう評して、こう続ける。「オーケストラで弾いている楽員たちを呼吸させるのがうまいんですね」
ほかの奏者からも「呼吸感のある指揮は分かりやすく、余計なストレスもなく指揮姿からすべてを感じ取り演奏をすることができる」との声があがる。当の小澤さん自身も「息をみんなにうまく吸ってもらう」のがいい指揮者だと語っていた。
わずかな狂いも許されない張り詰めた緊張感のただなかで、無理強いすることなく大勢の人を生かしながら動かし、自身が理想とする高みへと引き上げる。
そのために、だれもが無意識にやっているはずの「呼吸」が重要だという視点には意表をつかれる。しばしば組織のリーダーにもなぞらえられる指揮者の仕事の奥深さを実感する。
新幹線もなく国内移動すらままならぬ時代に世界へ飛び出した小澤さんは、クラシック音楽になじみのない人々の希望をも背負う立場だった。
それでいて、「世の中の人よりもっとお風呂の中で歌をうたう音楽の良さを忘れかけているのではないかと思ったりする」と自らを省みる。上り詰めてなお、おごることなく多くの人たちをその懐に招き入れ、率直に生きた。
長野県松本市や水戸市に新たな芸術文化を根付かせ、内外で後進の教育にも力を注いだ。その足跡には、いまも多くを教えられる。」
2月14日朝日新聞朝刊紙「社説」より
私が初めて聴いたのは小澤征爾指揮、トロント交響楽団「ノヴェンバー・ステップス」のLP(!)2枚組の演奏でした。あと「G線上のアリア」もどこかで…
慎んで…
Amazing!perfect condacter and orchestra!!
https://youtu.be/KXNKQhFUhiE
「一番面白い劇は何かと訊かれたら、私は、たちどころなく「歴史」と答えるだう。・・・私にとって、歴史をドラマツルギーとして認識する方法は、あくまでも、進行する偶然性を想像力によって組織してゆくダナミズムの裡にしか存在しないからである。」
寺山修司(1935〜1983)「迷路と死海」より
没後四十年
地域の図書館で開催の読書会の課題図書にジェーンオースティン「高慢と偏見(pride and prejudice)」が選定されていて、これの現代版映画「ブリジット・ジョーンズの日記(字幕版)」を今しがたテレビ鑑賞した所です。挿入歌にエリック・カルメン「all by myself」が入っています。
その繋がりという訳ではありませんが、、、(カラヤン指揮、ベルリン・フィル演奏、ピアノ・ワイセンベルク)DVDからですが、、とにかく、泣かせます(T_T)
https://youtu.be/4TF2unP74tc
『Chariots of Fire』 、『南極物語』、他落ち込んだとき脳裏に奏でられるこの人の楽曲に私は、何度も、何度も、何度も励まされ、癒やされた。有り難うございました。
RIP合掌
ヴァンゲリス(1943〜2022)
毎回コンサートの予定ができると、作品をCDで、色々な指揮者やオーケストラバージョンで、繰り返し何度も復習するのが習慣になっている。だが、何度繰り返し聴いても、コンサートホールを出たときの感動には遠く及ばない。其れ位ライブは素晴らしいのだ!
「寂しいときや、苦しいとき、人は、さまざまな心を癒やされる。ただ、音楽がどのようなメカニズムで感情を揺さぶるのかは、まだわからないことが多い。 世界を舞台に活躍する指揮者の西本智実さんは、この難題を解こうとしている。
科学と音楽を結びつけたいという思いを、20年ほど前から抱いていました。 きっかけはモスクワで公演した際、聴覚障害がある方が私の楽屋に来られたことです。
指揮者の動きを見ながら、 次にどんな音が出るのかを予想したり、木の席を通じて伝わってくる振動を感じたりして、楽しんでいる、と。 そう手話を交教えてくれました。
音楽が感性に響くのは、振動の影響があるのだと思うきっかけになりました。子どものころ、初めて外国のバレエ団の舞台を見に行き、舞台で演奏された曲のレコードを何度も聴き返しました。 でも、それは舞台で聴いたものとは全く異なりました。
次第に録音の時の状況やオーケストラの編成だけでなく、指揮者が抱く、その作品への世界観つまり「構成」がそれぞれ異なるからだということに気づきました。単に数値をカウントするのではなく、音色や発語のスピードなどと演奏者と言語を使わずにやりとりする「暗黙知」によって奥深く通じ合う――。 素晴らしい世界だと思いました。
音大、留学を経て指揮者となり、
各国から招聘される過密スケジュールが続いていました。そんな生活が、新型コロナの拡大により一変しました。
次の舞台制作のため、宇宙の周波数を題材にしたいとリサーチをしていたときのことです。偶然、学技術振興機構(JSTの「ムーンショット型研究開発事業」の募集ページを見つ
2050年に実現したい社会像を目標に研究を進めるという内容でしたが、プログラムの中には音楽がありませんでした。
科学と音楽は結びつくと以前から実体験を通して確信していました。
感性脳科学に取り組む広島大山脇成人特任教授と出会い、共に目標案をつくりました。 それが音楽による癒やしの効果が心豊かな社会を目指すという「ムーンショット目標」の参考となり、社会実装に向けて始動しています。
コロナ禍において、心の貧困が広がり、うつ病に苦しむ人、自殺者が増えています。 今こそ音楽が心を癒やす力になってほしいと思っています。(語り手 西本智実、聞き手 服部尚)」
朝日新聞文芸欄「心癒やす音楽の力 科学で探りたい」より
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