『伝心』
うちの白い柴公は
何故か卵を食べなかった
その前にいた奴は
台所で卵を落として
割ろうものなら
馳せ参じて
跡形もなく啜ったものだ
家人曰く
白い柴公の父親は
卵屋の犬だった
恐らく卵を盗み喰いして
こっぴどく叱られて
懲りてしまったのだろう
その記憶が
遺伝したのではないかと
伝えたいもの
伝えたくないもの
伝わるもの
伝わらないもの
色々・・・
本当に色々・・・
残念ながら
白い柴公は
伝えるべき
子孫を持たなかった
かろうじて
我々の記憶の中に
溢れ出さんばかりの
多くのものを
伝えて・・・
残して・・・
そして
通り過ぎて行った
白い柴公の命日が
また巡って来る
『雨のアラカルト(2品)』
・・・お品書き・・
★かなでる(奏でる)★
子供の頃は新しい傘を買って貰うと雨を心待ちにしたものだった。
大人になってみると持ち歩くのは面倒になる、
折畳み傘でも濡れてしまうと始末に困る。
結局多少濡れても傘をささずに歩いてしまう・・・。
昨日の夜,久しぶりに傘を開いて歩いてみた。
ぴんと張り詰めたナイロン地の傘、
落下して来た雨粒がぶつかり、はねて、滑り,独特のリズムを奏で始める。
傘の形はラッパの口のようで、
いうなればラッパの口に頭を突っ込んでいるようなもの、
雨音は拡声器を通ってこちらの頭,体に響いて来る・・・。
自分にだけしか聞こえない音楽だ ・・・。
★いたずら★
雨の日の電車,立っている人はまばらである、それ程には混み合ってはいない。
一時間程の旅路,始発駅から乗ったので扉際の座席を確保している。
鈍行列車で乗客の乗り降りは頻繁で回転も早い。
人が入れ替わりたち替わり車内に違う空気を運び込んで来る
向かいの座席の横に傘がかけてある、忘れ物らしい…安物のビニール傘…。
そこに座った人は降りるときに(傘忘れてますよ…)と他の乗客に呼び止められる…
そして振り返り…違うんです!…と手を振り降りて行く…
そんな光景が一時間の旅の中で三回もあった…。
終点で降りるときに振り返って傘を見た・・・
なにやらいたずらっぽい笑みを浮かべているようにみえた。
私のかくも短き長い旅路は終わったが
ビニール傘のいたずらはまだ続くようだ・・・。
『阿呆ありき』
犬と暮らすと
人間は・・・
よく言えば
童心にかえり
率直にいえば
阿呆になる
子犬の肉球の朱印をとろうと
朱肉に足をのっけて
紙に足印を捺させた・・・
までは良かったのだが
その後
極度の興奮状態に陥り
家中を朱肉をつけたまま
暴走
家族総出で
(大捕物)
追いかける
阿呆の数が多いほど
子犬は大喜び
尻尾プリプリ
メーター振り切れる
途中で
行きがけの駄賃で
大小交々(こもごも)・・・
朱印どころか
家中
犬印の落し物多数・・・
それでも喜び
笑って済ませる
阿呆たち・・・
犬って奴は
人を散々阿呆にしておいて
突如として去ってしまう
残された阿呆たちは
本当の阿呆になって
しばらく
悲しむしかない
いっそ本当の阿呆になれたら
どれだけ楽か・・・
なんて考えながらね・・・
『妖怪のはなし』
あれは量販店に就職してすぐ
青果売り場にいた頃のことだった
売り場には冷ケースにつける
プライス・カードというのがあって
ボッチを回すと値段の数字や、グラム、個、匹・・・
といった単位が変わるものだった
なぜか
売り場に人がいない間に
そのプライス・カードの単位が
すべて『匹』に変えられることが頻発した
キャベツ一匹、きゅうり一匹、人参一匹
キウイ一匹、りんご一匹・・・
見つけるたびに
なんだかおかしくて笑ってしまった
しかしながら売り場を管理するマネージャーとしては
ほぼ毎日起こることなので
カンカンに怒っていた
彼は店長にことの次第を報告した
見張りを立てて
捕まえてやろうということだ
店長は社内でも抜群にキレる人として有名で
40前半にして取締役部長という肩書きだった
強面のうえ、頭の回転がはやく、声もでかい
笑顔をみせたこともなく皆に恐れられていた
マネージャーの報告のあと
店長は一言
(見張りを立てる必要なし!あれは妖怪の仕業だ
放っておけ!)
多分・・・
店長は犯人を知っていたのだと思う
この
『妖怪の仕業』
という言葉が
とても素敵に思えた
世の中は『露出』に狂っている
真相、特ダネ、スクープ、暴露、隠し撮り、
激白、密告、公開・・・
せわしない言葉ばかりが氾濫している
その中で『妖怪の仕業』という言葉は
とてもおおらかで、
あたたかくて、
人間臭くて
謙虚なものに聞こえた
(いいじゃないか・・・そっとしておこうよ・・・)
そんな優しさが
昨今はあまり見られなくなってしまった
自分の周りにも
(妖怪の仕業だよ、そっとしておこう)
というようなことがたくさんあると思う
『妖怪』がもっとたくさん溢れるようになったら
住みやすく温かい世の中になるんだろうな
『微笑み』
誰の本だったか
『ベートーヴェンの交響曲は必ず笑顔で終わる・・・』
そんな言葉があった
思わずニンマリしてしまった
実にいい言葉だなあ
ベートーヴェンは必ず最後には希望を残しておいてくれる。
『語り部』
奇を衒った訳でもなく
民芸調を強調するわけでもなく
ただそこに在って
長い長い時の衣を纏った
地方都市にありそうな
ありふれた居酒屋
景気の満干
開発の季節風
世相の変化の嵐
津波の如く日々押し寄せる波を受け
周りの物が壊され流されする中で
たった一つ取り残された
砂の城
10年・・・
20年・・・
30年・・・
40年・・・
50年・・・
サラリーマンたちの本音に
静かに耳を傾けて来た
ギコチない新入社員が
自信に溢れた働き盛りになり
やがて黄昏を迎える
そんな数多くの
幾代にも渡る
サラリーマン絵巻を
サラリーマン叙事詩を
黙って見つめて来たのだろうなあ
奇を衒った訳でもなく
民芸調を強調するわけでもなく
ただそこに在って
長い長い時の衣を纏った
地方都市にありそうな
ありふれた居酒屋
やっと重い口を開いて
語り始める
取り壊されるまでのわずかの間
語り部となる
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