勉強ができるようになりたいと思っていらっしゃる方へ、私が思うところを書かせていただきます。
私は一時期、いわゆる反抗期というもので勉強をまったくしなかった時期があります。でも、夏休みに海外に行って、価値観が大きく変わりました。自分よりも年齢の若い子たちがまっすぐに一生懸命勉強しているのです。そしてまた、勉強ができない子供たちがいるのです。日本には義務教育という9年間は勉強が確実にできるという保証があります。だから、勉強を行える環境にある私は勉強を行いこの9年間で果たさなければならないのです。
っというのが今の私の勉強する理由です。来年は高校受験に向けての一年間になるので、自分はどこを目指しているのかを思い直し勉強に励んでいきたいです!
私は勉強の意義というのを「世界を構築すること」だと考えます。
そもそも私達が世界として認識するものは私達が得た情報を基に頭の中で構築されているものというのが私の考えでして、その構築には記憶が多分に影響します。
つまり、物事を一つ知ることは世界を広げることと同義であり、物事を考えることは世界の広さを調べることと同義だと私は考えているのです。
勉強をする理由はそれが楽しいからで十分かなと思いつつも、考えてみると上記が妥当かなと。
曖昧な考えと長文失礼しました。また仲良くしてやってください。
志望校のレベルを落とした結果通じる言葉が減ったという知人も居ります。
ただ、「人に負けたくないから」というのもそうですが、「親に言われたから」や「進学、就職」という目標は一時的なものに過ぎません。ですので、野田浩次郎さんが目指されるように答えを出すのではなく、それについて自分で考え続ける姿勢こそが相応しいのかと思われます。
この議題に価値があると思いますし、野田浩次郎さんの考えはもっともだと思うのです。ただ、ほんの少し気になる所があったので失礼ながら申し上げた次第であります。それはご理解ください
次に「進学、就職」に関しては名のある学校を出ること、大手企業に入ることがその人の人生を決定することは絶対にありえませんが、その要因の一つにはなりえます。
これらによってその人の価値を決定することは大いに浅はかで嫌いですが。
私も「大企業に入るために勉強する」というのは嫌いな意見の部類に入りますが、その人の価値観として受け入れられるなら否定される程卑しいものでもないかと思われます。「名のある学校に入るため」に至っては勉学の理由として真っ当じゃないでしょうか。
不躾にも少し反論も含めて意見を述べさせて頂きます。もし、気分を害されたら申し訳ありません。
まず、「親に言われたから勉強する」というのは本当によろしくないことは確かなのですが、子供の社会的立場から見れば仕方のないことかもしれません。親は子供と縁が切れても死にはしませんが、子供からすればこれは大きな問題です。最悪、縁が切れずに憎まれ口を叩かれながら過ごさなければいけません。
これは子供というよりは親に問題があるのですが、結果的として「親に言われたから」に陥るのも仕方ない様な気がします。
すてきなお話しありがとうございます。
私は、「過去の人間が探し出した定理や見出した世界の在り方を学ぶ、つまり歴史を学ぶことによって多くの人間の経験を自分のものにすることによって世界を広くし、自分を大きくすること」を目的としています。しかしこれは抽象的すぎて忘れがちになってしまいますので、目の前の中間目標として自分の好きなことができる入りたい大学に合格するために勉強している状況です。
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