空を見ていた。というよりは、空というものを、そこに広がる何か青いものを視界に入れていたというほうが正しいかもしれない。もしくは、それでも言葉足らずかもしれない。
その日。青い絵の具ただ一色を無造作に塗りたくったような空だった。雲はどこにも浮いていなかった。その代わりに、雲がいなくて本当に助かる、とでも言いたげな太陽が自身の存在を煌めかせていた。
が、太陽が表現できるのは光だけであって、彼の発す熱は涼しげな秋風に掻き消されていた。
ひゅふぅひゅふぅと風が吹く。草が揺れる。目が乾く。
青々と茂る草原の上に寝転んでいると、一匹の猫が近寄ってきた。ゆっくりと。シュークリームを連想される顔をして。
茶色い猫だった。小さな猫だった。猫のような猫だった。
なんとなく、雄だと思った。
渋滞の中の自動車が徐々に徐々に前進するように、ゆっくりとゆったりと僕は目を閉じた。黒。
秋というものは頗るよいですな。
猫はそう言った。
風の呼吸が耳に絡みついてはすぐに消えた。その音はこういう言葉をなしていた。
秋というものはつくづく嫌気がさします。
すると今度は猫がぽつりと、わたしの心には秋の空があります。青く青く澄み渡るような、秋風がひょふぅひょふぅと駆けていくような、そんな秋空がわたしの心にはあるのです。乾燥した冷ややかな空です。と呟いた。
黒。
沈黙。
風。風。風。
君は君自身を愛せるかい?
僕は猫に尋ねた。猫が身じろぎしたのが気配で伝わった。僕は目を開けない。黒。
猫はそれには答えずにこう言葉を並べた。
秋空とわたしの心はよく似ている。秋の空はわたしの心と溶け合うことができる。秋だけがわたしを肯んじることができる。秋はわたしを落ち着かせてくれる。秋というものは頗るよいですな。
君は君自身を愛せるかい?
僕は再びその質問を放った。
猫は答えなかった。構わなかった。
秋の匂いが鼻をつついた。枯れ葉の気配が辺りを満たした。
無色な風がひょふぅひょふぅと吹いた。肌寒い。地球温暖化が信じられない。
目を開けた。黒が刹那に分裂して新たなる色が視界を覆った。主に、青。
身体を起こす。風で髪が泳いだ。ゆらゆら、ひゅるひゅる。
猫の姿はもうここにはなかった。
わずか三グラムほど、心臓が削り取られた気がした。今日もまた。
秋風が僕の心の中をひゅぅと通り抜けた。
猫が僕のすぐすぐ近くにいる気がした。
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