一、壁の外側で
「今度の街に着いたら、おいら、仕事を見つけて爺さんに酒の一杯も奢ってやるぜ」青年は老人に向かって言った。老人は答えた。
「何を言ってる若いの。わしゃまだまだ働ける・・」老人の体は痩せていてちょっと触れただけでも骨が折れてしまいそうだった。
青年は言った。「厭、爺さんは休んでいてくれよ。今度の街ではおいら一人で働くよ」
老人は何も言わなかった。二人はとぼとぼ歩いた。
道はそれほど急ではなかったがだらだらと上り坂で永遠に続いている様だった。道の両脇には名も知れない木々が茂っていてずっと続いている。その木々の葉が道を埋めていた。
空はどんより曇っていて、今にもぽつりと降ってきそうだった。ここには道と木々と葉と曇った空とただそれだけしかなかった。他には何もなかった。
「寂しいな」青年はポツリ呟く。今まで二人は景色のせいか無口だった。が景色はその無言さえ拒否した。「ああ、寂しい所だな。ここは」老人が同じ様にポツリと言った。
青年は言った。「違うんだ。・・・ここは寂しい所だけど、おいらの言ったのは違うんだ。
おいらが言ったのはおいら自身が寂しいってことさ」
老人はそんな事、言われなくても分かっていた。青年のその言葉が聞きたくなかったからはぐらかす様に言ったのだった。しかし、青年は言った。「寂しいんだ」と。老人も同じ様に寂しかった。しかし、その寂しさが何処からやってくるのか二人は分からなかった。
「ここには何もない。だから寂しいんだ。きっとそうだ」青年が言い走り出した。老人は、歩調を崩さず同じ様に歩いた。青年はちょっといった所で止まっている。そしてまた二人並んで、歩きだした。「前の街をなんで、出てきてしまったのかな。おいら」青年は今まで、つい昨日まで街の事を思い浮かべていた。老人も思った。前の街にいたときも、寂しかった。ひょっとしたら今以上だったかもしれない。
今までだららと昇ってきた坂道がやっと下りになった。すると目の前にま灰色の壁が広がっていた。巨大だった。左右の果てが何処まで続いているのか分からないくらい。
青年は走り出し、老人もあとに続いた。
二、壁の入口で
壁についた。二人ははあ、はあと肩で息をしながらそこに座り込んでしまった。「これからどうしよう」青年が言った。青年は続けて言った。「壁の向こう側はきっといいところなんだ。おいらは、この向こうへ行ってみたい。入口を探そう」青年は目標を見つけたためか急に活発になった。老人はまだ、荒い息をしながら黙っていたが、やがて言った。
「壁の向こう側が何故、いいところなんてわかるんだ。えっ若いの」青年は頬をふくらませ、答えた。「じゃあ、聞くがここより悪いところがあると思うか?爺さん」老人は黙っていた。青年は続けていった。「ここより悪いわけがない。少なくともここより良いところさ、さあ、入口を探そうぜ」
青年は立ち上がった。老人には青年がひどく眩しく見えた。(若いな)と老人は思った。
青年は老人に手を貸し、老人も立ち上がった。
「さあ、どっちに行こう?そうだ、右だ右に行こう」青年が言い、二人は歩きだした。
灰色の壁は酷くおおきくて高く、頑丈で陰鬱で老人と青年に覆いかぶさっていた。壁にそって二時間以上歩いた時、見えた。入口が。二人は走り出した。
その入口の大きな両開きの扉の左に兵士がたっていた。
「中にいれてくれよ」青年は言った。すると兵士が機械の様な声で答えた。「本当に入りたいんだな。入ると出られなくなるがそれでも良いのか」青年は聞いた。「中はここより良い所なんだろ?」「ああっずっと、ずっと良いところさ」「だったら入れてくれよ」
「そっちの老人も一緒かね」「ああ」兵士は扉を開けた。それはぎしぎしと音をたて開いた。老人と青年は中に入って行った。後ろで扉がばしんと閉まった。
三 壁の内側で
「おい、見ろよ。爺さん」内側は外側と比べ別世界だった。花が溢れ、鳥が飛び、小川が流れ、食べ物が溢れていた。青年は傍らのリンゴの木から実をもぎ食べながら言った。
「素晴らしいところじゃないか」老人は言った。「ここには人は、いないのか?」見回してみる。人の気配は皆無だった。
「人なんていなくてもいいじゃないか。ここはおいらたちの世界なんだ。ここでは仕事なんかしなくても、・・もっとも見つけてもないだろうけどな。しなくてもいいんだ。一生、遊んで暮らせる」
(俺達の世界だって?)老人は思った。(俺達の世界だって?人から貰って、俺達の世界だって?)
「見学してこようぜ」青年が言った。宝石が溢れている。黄金が山となっている。あらゆる生物が溢れているが人間はいないようだった。青年はそのことを気にしなかったが老人は別だった。
一か月もすると二人は壁の内がわの変化のない生活に慣れてしまっていた。その日から二人の生活は色を失った。何もすることがなかった。
小川で体を洗い、うさぎの肉を食べ、木々の実を食べ、そして眠る。
「ここには本はないのかな?」青年が言った。「ここには人間がいないんだ。本なんてある訳ないだろう。それに本があったって、働らいてないんだから、しょうがないだろ」
老人のその声には何の感情も無いかのようだった。
「退屈だなあ」青年が独り言をいった。ポツリとした言葉だった。
「ここは自由だ。すべてが自由だ。それに何も困ることがない」老人が言った。その声には怒りが含まれていた。
「籠の中の自由だ。なんでもあるが何もない」
「おい、爺さん、爺さんはおいらを責めているのか!」青年のその声は震えていた。
「確かにこの中に入ろうって言ったのはおいらだ。だけど、だけどおいらが入るとき、何も言わず、爺さんは付いてきたじゃないか!おいらを責めないでくれ」青年は下を向いてしまった。
老人は暫く黙っていたがやがて言った。「わるかった・・・」
一日が終わろうとしていた。闇がだんだんと二人を包んでいった。二人は何時間も無言だった。そのうち、どちらともなく喋り出した。
「ここも寂しいところだな。上辺はなんでもある。華やかな所だけど・・・はじめの一か月位、おいらたちは幸福だった。しかし、今はどうだ。回りが華やかであればある程、おいらたちは惨めになっていく。おいらはもうここにはいたくない」
その時、二人の中に同じ思いがはりし、そして永遠に留まった。
(おいらたちはどこにいても寂しいいんだ。たとえ、この壁の世界からでられたとしても寂しいんだ。寂しいんだ)
二人は空っぽになってしまったようだった。
ここは壁の外より酷いところだなと青年も老人も思った。
おわり
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