ハッハッハ、昨日はよく寝られましたかい? なにしろ雷がゴロンゴロンと鳴っていましたからなぁ。おかげでワシは夜中の三時にハッと目が覚めてしまいましてな。困ったもんですわ。いかずちの神さんにもう少し床についていてもらわないと。
え? 雷に気付かなかった? オイオイ、それは本当ですかい? 俄かには信じられませんなぁ。それくらい昨夜は酷かったんですぜ。もう地球なんて簡単に砕け散っちまうんじゃねぇかというぐらい大きな音と光ッ! とてもスヤスヤと寝れたもんじゃないです。おかげで今も眠くて眠くて。今すぐにでも布団に飛びつきたいぐらいですわ。ザブンッ、て。
でもそうはいきませんからな。こんな小さな八百屋ですが、八百屋は八百屋。休むわけにはいきません。だからこうやって睡魔に引き摺られていきたいのを我慢して店番をしているんです。お客さんお客さん、よかったら代わりますかい? 貴重な体験ですぜ、八百屋の店番も。
ん? そうなんですかそうなんですか。あなた様のお祖父さまも昔八百屋を営んでいたと。それは結構結構。なんだかんだいって悪くないの職ですわ。ハハー、なるほど。それで小さい頃によく手伝っていたから今更そんな体験はいらないと。こりゃ残念。ハッハッハ。
え? そのトマトを安くしてくれって? ウム、どうしたもんですかなー。一銭さえも無駄にしないがモットーですから、こりゃ渋い顔にもなりますわい。イヤイヤ、ケチで結構。
んでもまぁ、いいでしょう。安くしときますよ。サービスです、サービス。
ただ、その代わりと言っちゃなんですが一つ話を聞いてってくれませんかい? 誰かに話したくてウズウズしている話があるんですわ。すぐに終わります。だからお願いしますよ。トマト、ウンと安くしときますんで。
ハッハッハ、そうですかそうですか。了承していただけますか。それは僥倖。
あれは確か一月ほど前のことでした。今日みたいにワシは店番をしておったんですわ。そりゃもう退屈なこと退屈なこと。ウトウトまどろんでいたんです。え? 立ったままか、だって? 甘く見られちゃ困りますぜ、お客さん。ワシは何年も八百屋やってるんです。立ったまま仮眠をとるなんてもうオチャノコサイサイ。なんなら今から、立って寝たまま寝言で国歌を歌ってみせましょうかい?
イヤイヤ、そこまで驚倒されなくても。冗談ですよ、さすがにそこまではできません。それにそんな状態で国歌なんぞ歌ったらお国に失礼ですわ。ワシはなかなかこの日本という国が好きなんです。
でまぁ話は戻るんですが、ワシがまどろんでいるとそこに一人の少女がやって来たんです。そりゃもう可憐な少女でしたよ。歳は七から八ぐらいですかね。綺麗な朱色の着物を着て、可愛らしいかんざしを身につけておりました。瞳はパッチリ二重で透き通っておりました。その容姿はワシの娘ともいい勝負でしたよ。ハッハッハ、ワシんとこの娘もなかなかいい顔してるんですぜ。あなた様の息子様といずれ契りを交えてもいいとも思ってます。イヤイヤ、冗談ですよ。
それでその少女に「お譲ちゃん、お使いかい? 何を買いたい?」と聞いたんです。するとその少女はそれには答えず、ただ「……赤」とだけ呟いたんですわ。はてな? と首をかしげたワシなんですが、それについて何も説明せずに少女は向こうの通りに向かって駆けていきました。まぁ、どこぞの子供の意味不明な言葉ごとき、普通そういつまでも記憶に留めません。店仕舞いする頃にはスッカリ忘却の彼方へと流されていました。
しかし、見たんですよ。その日の夜の夢でね。夢の中で、ワシの家がゴウゴウと燃え狂っていました。命からがら逃げたんですが、何しろ必死だったもんで妻と娘を置いてきてしまったんですわ。あっという間に家は火に呑まれちまいました。その鮮やかすぎるほどの朱色は未だに網膜に焼きついております。視覚で見た風景ではないのですが。
イヤー、恐ろしかったですな。夢のクセに、視覚、聴覚、嗅覚が生々しくて本当にリアルなんですわ。もうおっかなくておっかなくて。でも、度肝を抜かしたのはその半日後でした。思い出したんです。少女の消え入るような、でもハッキリとした「……赤」という声を。
もう思い出してしまったらその声が耳から離れなくて離れなくて。なんという粘着力でしょうか。それで嫌な汗が滲んできたんで、妻にそのことを全部全部話したんです。すると彼女は腰を抜かして「私も同じ夢を見たわ。倒れてきたタンスに潰されて身動きが取れない私を、真っ赤な炎がジリジリ焼いていくの。私はただ自分の身体が燃えていくのを見てることしかできないの。悪夢なんて久しぶりよ。それに私、一昨日知らない女の子に『……禍』って言われたの。じゃあ、それって……」云々を打ち明けたんです。
たまげましたわ。ヒョエー。妖怪の類ですかね、と妻と共に震え上がったものです。よくないものでも憑いてるんじゃないかな、なんて。
お客さんも気をつけてくださいね。変な子供に擦れ違いざまに「……地獄」とか呟かれたらお客さん、あっという間に閻魔大王様と顔を合わせちゃいますぜ。アア、恐ろしや。
え? 今なんと仰いました?
この町には少女なんて一人もいない? んな馬鹿な。
オイオイ、それに細かいようですが、ワシの娘を忘れていますよ?
イヤイヤ、冗談じゃなんかじゃないです。本当にワシの娘はしっかり存在していますとも。え? 昨年にあった大火事? で、え、ワシの、娘が……? え? 妻のヒロ美、も? 焼死体? 火事、が、五月で? 夜、の? で、放火? 死、んだ? が、も、でも、燃えて、は? あ? アハ、アハハハ、アハハハハハ。アハハハハハハハハハ。認めない。認めないぞ。そんな馬鹿な話が。だって……だって……。一月ほど前に妻と夢のことについて……話し、て、てて、ててて、あれ。う、ん? ハッ。ハッハ。ハッハッハッハッハ。アッハッハ。娘が。火。赤。夢。違う。え。家。でも。去年。……? …………? んな嘘をつくなッ! アア! アアアアアア! 死んでない! 誰も死んでない! 妻も娘も生きてる! 嘘だ! 嘘だッ! 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だッ! …………ッ!
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