読書メーター KADOKAWA Group

作り話をつぶやきました。

小春
トピック

Mμ
2018/07/15 07:57

小春。
彼がそう呼んだから、彼女の名前は小春になった。
大学2年生の冬、一緒に暮らし始めた彼と買った、淡い桜色のダイニングテーブル。
数日前に降り積もった雪を見て、「うちには一足早く小さな春が来たね。小春だ」と言ったのだ。
小春は私たちにとって欠かせない存在となった。
春は、お花見のお弁当。
おにぎり、唐揚げ、卵焼き。
ハンバーグ、ブロッコリー、ミニトマト。
初めて作る手作りのお弁当に苦戦しながらも出来は満足できるもので、嬉しさのあまり小春の上に広げて写真をたくさん撮った。
寝ぼけ眼で起きてきた彼は、私を見て苦笑してたな。
夏は、テキストを並べてふたりで同じ資格試験に挑んだ。
彼はコーヒー、私は紅茶。
テキストを眺めながらカップを取ろうとして何度も割り、その度に新しいものを買い直した。
秋に試験に挑み、無事ふたりとも合格。たくさんの料理を並べてお祝いをした。
幸せな淡い桜色の時間。
そんな幸せな時間もそう長くは続かなかった。
冬。私たちは喧嘩したのだ。
きっかけは些細なことでもう忘れてしまったが、同じ屋根の下、顔を合わせるたびに気まずい思いをし、その気持ちを隠すように、私たちはいつもイライラしていた。
小さな鬱憤はこれまた小さなきっかけで爆発し、感情的になった私が投げたグラスは小春の上で割れ、、彼女の儚い肌に傷をつけた。
まるでそれは私たちの関係のようで、あんなにも心地よい色の下に生々しい本来の姿を隠し持っていた。
いつまでもしゃがみこんで泣き止まない私をなだめていた彼は、気がつくといなくなっていた。
夜、雨が降り出した。
止まない雨は一週間続き、ひとり死んだように起き、学校へ行き、死にたいと思いながら眠った。
こんなにも色あせた世界が不安で、孤独で、重たいものだとは思わなかった。
そんな重苦しい時間にも光は射し、冬は春の訪れを知らせる。
ガサガサという音で目を覚まし、キッチンに続く扉を開けると彼が立っていた。
「ごめん、起こした?」
ジーンズに空色のシャツ、小春の上には小さなペンキの缶が並べられ、腕まくりをした彼の手には刷毛が握られている。
「何してるの?」
覗き込むように小春を見ると、私の傷つけた木目の傷は一本の細い枝となり、新緑のような葉を付け、先端には小さな蕾と、今まさに開花した桜の花がそこにはあった。
「痛そうだったからさ」
照れくさそうにそういった彼の言葉に、思わず胸が詰まる。
小春に対してだけではなく、私に対してもそう言ってもらえているように感じたから。
あぁ、好きだな。
彼と私と小春と、、、まるで。。
「卒業したらさ、一緒になろうか、俺たち。小春も。娘みたいなものだし」
小春に手を添えながら、淡く優しい春のような笑顔。
春の、暖かい風が部屋に吹き込む。
私たちの春はもう近い。

このトピックのコメント

データの取得中にエラーが発生しました
このトピックのコメントはありません
新着
参加予定
検討中
さんが
ネタバレ