余計な書き込みをもう一つ。石牟礼道子『苦海浄土』は、私にとって鬼門の書です。私がサラリーマン時代には化学メーカーの社員でした。私に身に迫って感じられるのは、公害企業チッソの方でしょう。発覚当時の工場長はマスコミの前で、工場廃液をコップに注いで飲み干してみせたといいます。そうしなければならなかった企業の論理と水俣市民の共犯性の方が若い頃の私には身近に感じられます。1960年代の世間の見方は私の父の言葉となって耳の底に残っています。「あいつらは補償金もらうのが目当てさ」。私はどうも加害者側の人間のようです。
番外の書き込みをします。実は、就寝前にベッドの中でぽつぽつ読み進めています。順番も自由で、あちこち行ったり来たりします。フランクルの章もやっと読みました。料理研究家の辰巳さんのところで読みあぐねています。生命を「いのち」と表記することの意味?どこかで見たような。禿童子の悪い癖で、既視感を覚えると書かれていることに疑念を感じてしまいます。現象の裏に実在を見る。ここでは実存と表現されていますが、末期がん患者とスープの結びつき。ちょっとついていけない感じがして読む手が止まっています。超越できない禿童子です(笑)
(6) 群像1月号の連載にも「太陽が神であることは、太陽は神である、と語られた途端にその意味を失う、とユングはいう。(中略)そこで私たちが認知するのは、「太陽は神である」という記号的な文字であって、太陽神をめぐるなまなましい経験でも認識の深化でもない。在るのは生ける経験でもなく、いつ、誰が見ても変わらない標本のようなものでしかない。】と書かれています。
剥製といい標本といい、原体験を離れた説明や解説を嫌うのは、若松英輔の一貫した姿勢として注目してよいかと思います。
ちょっと気づいたことの報告でした。
(5)若松さんは、よほどこの文がお気に入りのようで、『生きる哲学』第八章「神谷恵美子」では、引用であることは示さずに【悲しみを本当に慰め得るのもまた、悲しみである。】と書かれています。
若松さんの著述には、お気に入りの文章のリフレインが多く見られるのですが、もう一例だけ示します。序章の末尾に【誰もが簡単に用いることができる剥製のような概念は、人生の困難にあるときには何の役にも立たない。】とあります。
(4) 久しぶりに群像の連載「たましいを旅する人 河合隼雄」を読んでいて気づいたのですが、若松さんは、『生きる哲学』で取り上げたテーマをここでも繰り返しています。
河合隼雄の言う「かなしみ」に寄せて、柳宗悦「悲しみを慰めるものはまた悲しみの情ではなかったか」を引用しています。『生きる哲学』の序章では、柳宗悦の「妹の死」の中の【悲みのみが悲みを慰めてくれる】を引いています。
(3)
先の引用に対して、禿童子は内心に異議を唱えるものですが、それはさておき、若松さんの本書におけるマニフェストというべき要点が引用部分に現れていることにご注目ください。
ラジオでも述べておられますが、「死者は生きている」と若松さんが言うときは、単なる比喩(=物のたとえ)ではなく、若松さんが本気でそう思っているのです。したがって、それを否定するような言説(心身一如)には真っ向から反論しています。それが「学問にとどまらない哲学」の項に示されています。
(2)
デカルトについての若松さんの考察は、正直言って釈然としません。「魂」という言葉を「心」という言葉と相互に交換可能なものとして区別なく使われています。
引用:【人はしばしば、心と体は一つだと素朴にいう。だが、どこまでも心身がまったく一なるものであるなら人間は、肉体の滅びと共に消滅することになる。魂は、けっして独立して存在することはできなくなる。魂として生きることを「死者」あるいは「生きている死者」と呼ぶとすれば、心身がまったく一なるものであるとき、死者は存在することができなくなる。】
憂愁さん、トピック作成有難うございます。ご厚意に甘えてさっそく使わせていただきます。
(1)
今、第一章「歩く 須賀敦子の道」を一巡してもう一度最初に戻っています。この第一章の「学問にとどまらない哲学」の項は、実質的には序章の続きですね。
デカルトの哲学が物心二元論ではないという逆説的な主張から説き起こして、【本論を「生きる哲学」と題した。】と宣言しています。「哲学」という言葉の若松さん流の定義のし直しです。
易しい言葉使いの反面、若松さんの文章には独自の言葉使い、定義のし直しが随処に見られます。
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