ニ・ニ六事件や皇道派の荒木貞夫大将についても書いてあり、特に荒木大将についての記述が興味深いものでしたので引用します。
日本陸軍がめちゃくちゃになった最大の元凶は荒木大将なのではないかとさえ思えます。
「荒木大将は昭和六年に陸軍大臣になると、それまでサーベルだった陸軍全体の軍刀を自分のものと同じく日本刀式に改め、平時から身に着けることを奨励しました。
その頃すでに将校が軍刀を持ってる国なんて世界中にほとんどなく、日本でも廃止すべきだったのに反対に近代戦では武器としてまったく役に立たないこの刀に(武人の魂)といったような特別な意味を込めて新たに広めてしまったのです。(中略)
まるで、女学生がお昼御飯を抜いて実用にならないブランド物のバッグを買うようなもんです。いや、自分の昼飯代を充てるなら勝手なのですが、日本を破滅させてまでもブランドとファッションに執着したのでした。
軍隊というものは、とにかく敵に勝つにはどうすればいいのかということだけをひたすら考えるもののはずなんですが、女学生・荒木大将の影響で、皇軍という名前とともに、勝敗よりも見てくれのカッコ良さやブランド価値を常に優先するようになってしまったのです。」198・199pより。
「吉田茂という病」はなかなか難しく、読みやすい本を同時並行で読もうと購入したのが「戦前の少年犯罪」です。皇道派の罪も軽くはありませんが、統制派が太平洋戦争に日本を突き進ませたのも事実です。
東久邇宮のお話、楽しみです。
荒木を含めて皇道派を擁護するつもりは、私にはまったくありません。ただ皇道派は日本の国力が列強と比較して弱いので、精神主義的になった面は否めません。石原莞爾や統制派は、国家改造をすれば国力も列強並みになると過信していたので、やはり統制派の方が問題は大きかったと、私は考えています。『東久邇宮の太平洋戦争と戦後』を読み終わったので、次回以降、また引用します。
また199pからです。
「また、陸軍のトップが二○歳そこそこの少尉なんかを気軽に家に招いて、そのうちに「荒木はいるか」なんて怒鳴りながらやって来るようになったのに、「若い者は元気がいいのう」なんて喜んでたそうですから、いよいよつけ上がってひどい言葉遣いをするようになったんだそうです。(中略)
なんせ、軍のトップの大将と直接友達づき合いができるばかりか、逆にこっちから命令さえできるような状況なのに、上官の大尉や少佐の命令なんておかしくて聞いてられません。」
荒木大将がいた事は日本陸軍最大の不幸です。
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