第1章 消えた白雪百合〔ヴァイスシュネーリーリエ〕の行方
第6話 神殿と通過儀礼
’21(R03)年01月02日 修正
神殿に向かう馬車では沈黙が続く。
すやすやと眠るローミィを見つめる神官がいた。フリードリヒの方を向く。
「殿下、本日は神殿の奥院にある庭園を散策したいとのことですか」
「あぁ、奥院に咲いている白い花を見たいと思ってね。簡易禊場、空いているかな……」
神官はフリードリヒに告げた。
「殿下、申し訳ございません。簡易の禊場は本日から明日までの間、予定埋まっております」
「……そうか、空いていないのか」
「はい。今日から出仕する予定の巫女見習いや神官見習いたちが終日使用しております」
フリードリヒは頭を抱える。
「そうか……。そうなると正式な手順を行う儀式用禊場しか、空いてないということかいになるかなぁ……」
「左様にございます」
フリードリヒはため息を吐く。
「困ったなぁ。正規な手順を踏む禊は時間がなぁ……」
腕を組むと暫しの間、考え込む。
神官も同様に沈黙した。
「殿下も正式な手順で禊をお受けになるご資格がございます」
「分かっている」
「殿下もいずれは重要な地位である大公位を拝受し、我が国を継ぐ立場にございます。どうぞ、ご経験のためにも正式な禊場をお使いください」
「あぁ……。気乗りしないが、分かった」
フリードリヒは馬車の窓から景色を眺める。
****************
道の先に小さく建物が表す。次第にその姿を見せる。白く大きな建物は荘厳な雰囲気を醸し出していた。
馬車はそこへ向かっている。
シェーンブルン神殿はラゲストゥーエ帝国の帝都シェーンブルンにあり、皇宮の北部を占める。
神殿の正式名称はアウローラ大陸西部域統括神殿庁、ラゲストゥーエ帝国支部神殿。
その総本山はラゲストゥーエ帝国の南西部に国境を接する国の一つ、ヴィーゼンヴァルト国の首都ヴィーゼンベルクにアウローラ大陸の西部域を統括管理する神殿庁として置かれている。
神殿では神官と巫女たちが慌ただしく行き交っていた。
祭祀用装束姿の男性が質素な神官装束姿の男性を引き連れ、神殿の奥から表にある馬車寄せまで出て来る。神官たちは慌てるように馬車を出迎える準備を整えた。
御者は手綱を操り、馬車を神殿の馬車寄せに着ける。御者席から降り、馬車止めを置く。馬車の扉を開けた。
案内役の神官が一番始めに降りる。ローミィを抱き上げて降ろした。最後にフリードリヒが出て来る。
「神官長。すまないが、簡易禊場」
フリードリヒの言葉を遮るように神官長が話を切り出した。
「フリードリヒ殿ーー。いえ、フリードリヒ様。ご要望のお花畑にはいずれご案内致しますので、今は急ぎ禊場までお急ぎいただけませんか」
側仕えの神官はフリードリヒを抱えて持ち上げた。
フリードリヒは驚きのあまり声を挙げる。
「神官長、どういうことだ?」
「殿下、説明は後で致しますーー。そちらのお嬢様もご同行していただきます」
いつの間にか姿を見せた巫女にローミィは抱えられている。
神官長と神官と巫女たち一行は神殿の奥へと向かう。
フリードリヒたちが連れて来られた場所は、禊を行うためだけに建てられていた。
禊を受けるにはいくつかの方法がある。一番簡単なものは、ある程度まとまった人数で広間に集まり、禊を受ける者が歩いたところに神官が禊術で禊水を拡散させる方法。
次に簡易禊場で手順を省略して行う方法と正規な手順で行う方法の二つ。正式禊場でも同手順が異なる二つの方法の、五種類がある。
神官長はフリードリヒを諭していく。
「殿下。殿下の将来のために”皇子妃選定の儀”をお受けください」
「神官長、その儀式はまだいいだろう……」
「殿下。殿下は我が国の第一皇子であり、我が国を継ぐ立場になられるお方にございます」
神官長は一礼し、フリードリヒを見据える。
「殿下、今後の御責務を果たすためにも”皇子妃選定の儀” は必須にございます」
フリードリヒは髪をかきあげ、神官長を見上げた。
「神官長、その儀式は禊を受けた後で受ける。とりあえず正式な手順で禊を行うから、水路の流量をいつもより押さえぎみにして欲しい」
「畏まりました」
神官がお盆に細長い筒状のものを二つ載せ、持っていた。
「殿下、忘れるところでした。こちらをどうぞーー。先ほど汲んだばかりの禊水です」
神官長は二人に差し出す。
フリードリヒは受け取ると一つをローミィに渡す。
「おみじゅ。ローミィみょ、いいにょ」
「はい。禊を受ける前にそのお水をどうぞお飲みください」
ローミィは透明な円筒を受け取ると一口含む。いつもと違う水の味に何かを感じ、飲み干した。
「おにた、おいち。ありがちょ」
ローミィはコップを飲み終えたコップを差し出す。
「神殿の禊水は奥院深部から涌き出ている水です」
「だいじにゃおみじゅ、ありがとごしゃいましゅ」
ローミィはお礼を告げた。
「……こちらこそ」
神官は短く礼を返す。空になった円柱形の筒を受け取り、お盆に戻す。
フリードリヒも空になったものを置いた。
第7話 禊と儀式
’21(R03)年01月03日 修正
禊場、禊の間ーー。
水路の入口から湧き出る水は奥へと続く水路を滔々と流れていく。
フリードリヒとローミィは神官に案内され、その入口にいる。
通常よりだいぶ水位は押さえているが、滞ることなく流れていた。
「おにた、ここ……」
「ここが禊を行う場所。この水路を奥の広間に向かって歩いて行き、身を清めると禊は終わりかな」
フリードリヒは見えない奥を指し示した。
「禊を終えたらお花畑にいこう」
「おはにゃみゆ」
ローミィはフリードリヒを見上げる。
「おにた、ここにょにゃか。あるくにょ」
「そう、歩いていく」
フリードリヒは最初に水路に入り、ローミィを抱えて水路に降ろす。後ろで控えていた神官に声をかける。
「水量は妹に合わせて私が微調整する。奥で着替えと何か拭くものを二つ準備していてくれないか」
「畏まりました。奥でお待ちしております」
神官は一礼し、奥へと向かう。
フリードリヒはローミィの手を取り歩き出す。
「歩きにくくないかい」
「おにたと、いっしょ。たいじょぶ」
ローミィはフリードリヒを見上げ、笑顔で応える。
二人がしばらく歩くと円柱形の広い空間が現れる。天井の中央部分が盛り上がっている形。それを支える支柱には女神の彫像が刻まれ、春・夏・秋・冬の四季を表していた。
二人が歩いていた水路は丸い円形の水盤に繋がっている。他にも同じような水路が三本あった。
水盤の中央には柱があり、鷲の彫像が鎮座している。
ローミィは顔を上に向け、しばらく見とれていた。
「おにた。きれいにゃ」
「あぁ、そうだね」
フリードリヒは一柱の女神像に向き、見上げた。
「中央にある鷲の像を取り囲むように置かれている四柱の彫像が”春の女神”、”夏の女神”、”秋の女神”、”冬の女神”。ここで一年の四季を表してもいる」
「きしぇちゅにょめがみしゃま。みんにゃ、きれいにゃ」
「そうだね」
フリードリヒは四柱の女神像を見渡して、一柱の彫像に目を止める。ずっと心に感じていたものの、正体に気づく。
「あぁ、そうか……。どこかで会ったことがある気がしていたと思っていたら、ここの彫像だったのか……」
「おにた?」
ローミィはきょとんとしてフリードリヒを見上げている。
フリードリヒは女神像に目を向けた。
「……おにた、にゃにみてるにょ?」
「春の女神の彫像だよ」
フリードリヒは女神の彫像を指し示す。
ローミィもフリードリヒが見ている彫像に目を移す。そのまま眺めていた。
「めがみしゃま……。かあしゃまみちゃい」
「そうかい……。」
ローミィは続けた。
「かあしゃま。めがみしゃまみちゃ、くるくる。くるくる」
「女神様を見て、くるくるかい」
「くるくるにゃ~」
フリードリヒはローミィの頭を撫でていた。
「くるくるもお花畑も後でね」
「は~い」
フリードリヒは立ち上がるとローミィを連れ、水路の向かう先へと歩いていく。
狭い通路から再び、広く開けた場所に出る。
水路はそのまま奥へと続き、水音が響いている。
水路は奥の広間で禊槽の一つに流れ込んでいた。長方形が二つ組み合わさった形状で水を湛えている。
フリードリヒは以前の記憶から禊槽が深いことを知っていた。ローミィの身長と禊槽の深さに悩む。
「大人用の深い禊槽では溺れそうだな……」
「それではお二人一緒にどうぞーー」
神官長と神官が待っていた。
フリードリヒは驚きつつ、思わず突っ込んだ。
「おい。身を清めるために体を沈める必要があることは分かるが……、私の体力では禊槽から抱えたまま這い上がるのは無理だぞ」
神官長は腕を上げ、指し示す。
「殿下。こちら側ではなく、あちら側の階段がある方向から禊槽にお入りになり、深くなる前にある踊り場で身を沈めていただけるとよろしいかと存じます」
「そうか。それもそうだな」
フリードリヒはローミィの手を取り、神官が示した階段があるところまで歩く。二人で禊槽の中にある踊り場まで降りていった。
そこでフリードリヒは頭まで沈めて身を清める。
ローミィもそれを真似て頭まで入る。
濡れたままの二人を出迎えたのは真新しい布と禊衣を持った神官と巫女だった。
「おにた。おはにゃぱたけ、こにょあと?」
「そう。もうじきかな」
禊を終え、身支度を整えた二人を神官長が迎えに来る。
「殿下、お花畑に行く前に儀式をお受けいただきますーー」
フリードリヒは悩む。
「神官長。そういえば、儀式で皇子妃を決めるというが、具体的に何をどう決めるのだ」
神官長は奥にいた神官に指示を出す。
二人の神官が銀色で丸い平桶を持って来た。別の神官が水を張る。たくさんの花を抱えて神官が水盤に花を挿す。
ローミィは生けられていく花に興味津々だ。
「おはにゃ、いっぱい……」
水盤の回りをゆっくり回っている。
第8話 皇子妃選定の儀
’21(R03)年01月03日 修正
フリードリヒは少し離れた位置から水盤に生けられた花と、花を見るために少しづつ動くローミィを眺めていた。
神官長はフリードリヒの正面に立ち、視界を遮った。
フリードリヒは神官長を見上げる。
「殿下。皇子妃の選定と申しましても現段階では具体的なお話には至りません。殿下が成年宣誓前にございますから」
「……そうか」
「おにた!」
フリードリヒと神官長、二人の話を遮るようにローミィの声が響く。パタパタと歩み寄って来た。
「おにた、おはにゃ」
「お花?」
「こにょこ」
ローミィがフリードリヒに差し出したのは茎が折れ踏みつけられた状態になっている二輪の白い花だ。
「このお花はどこから」
「うしろにいちゃ。おはにゃにょこえ、きこえちゃにょ」
ローミィの表情が曇っていく。
「げきにゃい……。ローミィ、とうしゃまみちゃいにできにゃい……」
ローミィからは堪え切れなくなった涙がぽろぽろと溢れ落ちている。
「大丈夫。治せる」
フリードリヒはローミィに声をかけた。
「おにた?、にゃおる」
「あぁ、治るよ」
フリードリヒは白い花の上に手をかざした。小さな淡い光がいくつも現れ、花全体に吸い込まれていく。踏み潰されて折れていた花や茎が元通りになり、消えていった。
「おにた。ありと」
ローミィも元通りになっていく花と呼応するように笑顔をみせた。
「おはにゃしゃん、げきにゃった」
白い花もゆらゆらと揺れている。
フリードリヒは神官長の方を向き、告げる。
「神官長、皇子妃選定の件のことだ。今は具体的に決めなくても言いが花を選べーーといったな」
「左様にございますが、どの花をお選びにーー」
フリードリヒはローミィが持っていた花を指し示し、続ける。
「あぁ、私が選んだのはこの二つだ」
「で、殿下?」
「成年宣言もまだ迎えていない身で、皇子妃と言われても困る。花を選べと言われたから選んだまでだ。何か問題でもあるのかーー」
フリードリヒは言い切った。
「おにた?」
ローミィはきょとんとしている。「禊も儀式も終わった。今度こそ、お花畑に行こうか」
「おはにゃ~、みちゃい」
フリードリヒはローミィに声をかけた後、神官長の方を向く。フリードリヒから発する雰囲気が変わる。
「神官長。誰かまでは分からないが、女神の加護を持つ花を踏み潰ししている神官がいるのではないか」
フリードリヒはローミィの肩を持ち、白い二輪の花をみせた。
「殿下、その花は禁忌の……」
「違う。よく似た別の花だ」
フリードリヒは否定する。
神官長はフリードリヒの隣に行き、白い花を確認した。
「確かにこちらは小輪八重咲きの白薔薇ーー。ローゼンシュタイン公爵家が持つ、白薔薇にございます」
神官長はフリードリヒが告げた言葉の意味に気づく。
「神殿敷地内で踏み潰された白い花をいくつも見ている」
「そのような愚行を犯す者はこちらにおりませんがーー」
「神官長。私がさきほど言った通りだ。見つけた花は私が治し、部屋に持っていってる。その者は神域に咲く花や神殿祭祀に使われる花にも、ただ似ているということだけで同じことをしているのではないかと言うことだ」
「……殿下」
「神官長。その者をこのまま花の女神の加護を持つ神殿に仕えさせていても良いのか。その行為は女神の加護を失いかねない愚行だと思うぞーー」
フリードリヒは言い切った。
「殿下、」
「あぁ、そうだ。水盤の花たちは花の女神の祭壇に戻した方が良いと思うぞ」
「そのように致します」
フリードリヒはローミィを連れ、禊場をあとにした。
神官長は水盤の花を祭壇に戻す指示を出す。
第9話 奥院と庭園
’21(R03)年01月03日 追加中
神殿の奥院には神殿とは別に女神たちを祀る祠と捧げられた庭園と園丁詰所が置かれていた。手入れを行う園丁も禊を行った者が担当している。
神殿祭祀や帝室祭祀などで使われる幾種の花もここから集められることが多い。
神殿で禊を行わないと見ることのできない神域にあった。
フリードリヒは教育係という名の宮務官を撒いて時間を作り、女神の庭園を訪れていた。護衛官に見つかるまで幾種の花の恩恵を預かる。
フリードリヒはローミィを連れてある場所に案内した。そこには数種類の白い花がたくさん咲いている。
「おにた。しろいおはにゃ、いっぱい」
ローミィは目を奪われた。しばらく時間を忘れて見とれている。
フリードリヒはそれを眺めていた。
ローミィはフリードリヒを見上げ、抱きついた。
「おにた、おはにゃしゃん。ありがと」
「ーーどういたしまして」
フリードリヒはローミィに声をかける。
「見せたかったのはここもだけど、もう一ヵ所見せたいところがあってね……」
「おにた?」
「そこは入るために祠に挨拶しないと……」
「おはにゃ、あうにょ」
ローミィはフリードリヒを見つめている。
「殿下、お探し致しました。お部屋にお戻りください」
「ヒルデブラント。今日はこのままこちらに泊まるってダメか」
「殿下、儀式は終えられたとお聞きしましたが……」
「明日も朝から女神の庭園を散策したくてね」
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