第1章ー3 消えた白雪百合〔ヴァイスシュネーリーリエ〕の行方
第1?話 神殿と禁忌の花
’21(R03)年02月13日 禊場。
神官長はフリードリヒが退出した後に皇子に選ばれなかったたくさんの花を眺める。水盤に残された花は儀式の所作に則り、花の女神の祭壇に戻す指示を数人の神官に出す。神官は幾つもの水盤を運び出していく。
神官長は側仕えを伴い禊場から長い回廊を抜け、歩いていた。
神官長の執務室。
帝都神殿に仕える神官をまとめる神官長。多くの神官は主に神殿の左側部分で仕事を行っている。
神官長執務室は神殿の奥に位置し、その一角を占めていた。
神官長は扉を開け、部屋に入る。
執務机は窓を背にするように置かれ、机の上には整理された書類があった。壁際にはいくつもの本棚が並び、多くの本がある。
その隣に賓客用の応接室、側仕えの部屋、通路を隔て奥に個人用の私室と寝室が与えられている。
神官長は執務机に歩み寄り、椅子に座る。届けられた書類に目を通し、処理済みの箱に置く。
引き出しから儀式用に誂えられた料紙を取り出した。花の名前を記す。料紙を眺め、ため息を吐く。
皇子が皇子妃託宣の儀で選んだ花は二つ、白雪薔薇と白雪百合。その一つが問題だった。腕を組み、考え込む。
「白雪百合……か……」
神官長は呟き、新たな料紙を取り出す。儀式についてありのままを掻き込む。
「殿下の年齢から今回の儀式は枠決めのようなものだが、この二種類で大丈夫だろうか」
神官長は料紙を封筒に入れ、封蝋を施す。
静寂を打ち破るように扉が叩かれる音が三回響く。その音に気づくと顔を上げた。
「入れーー」
その言葉を受けるように壮年の神官が入室してくる。
「神官長、失礼致します」
神官は扉を閉め、部屋の中央まで進む。
「神官長。お呼びとのことですが、何か……」
神官長は神官の顔を見上げる。
「今回、儀式の花を取り纏めたのは貴殿だったかね」
「左様にございますが、”皇子妃託宣の儀”に問題でもございましたか……」
神官長は暫く、沈黙していた。
「一つ聞くが、託宣花に何か手心を加えなかったか」
神官は驚く。
「選定にふさわしくない花が紛れ込んでおりましたので、水盤から取り除き処分……いえ。外して置きましたが」
「その外した花をどこに置いておいた」
神官長は神官を見据える。
「通路の奥に取り除いておきました」
神官長は神官を見据えた。
「その花を外した時、何か手心を加えなかったと聞いているのだ」
神官は神官長の顔を見る。
「私はき、禁忌の花を儀式から排除しただけです」
「今回、それらを外したのは問題だったな。どの花も精細を欠いておった」
神官は口を開く。
「神官長。今後は禁忌の花を儀式から排除すべきです」
神官は苦言を呈す。
神官長は机を叩く。
「儀式のために集められた花を禁忌の花という理由だけで、皇子以外の者によって外されたということが問題なのだ」
「……神官長」
「春の女神や花の女神に捧げられた花でもかーー。神殿神域に咲くすべての花は女神の加護が授けられている。そのことを理解していなかったのだな……」
神官長は別の引き出しから質素な料紙を取り出し、呼び出した神官の名を記す。机に置いてあった振鈴ベルを持つ。
鳴り響く小鐘の音。
合図と共に神殿付護衛騎士が二人が駆けつけた。
「重要な儀式に使われる花を粗末に扱う者をこのまま帝都の神殿に仕えさせ続ける訳にはいくまい。処遇を決めるまで懲罰房に収監をーー」
「畏まりました」
護衛きしの二人は問題の神官を確保すると神官長執務室から退出していった。
神官長はため息を吐く。振鈴鐘を鳴らす。
「すまないが、茶を一杯貰えないか」
「畏まりました。いつものものでよろしいでしょうか?」
「あぁ、頼む」
側仕えの見習い神官が慣れた動作でお茶を淹れ、差し出す。
「どうぞ」
神官長は机に置かれたカップを持ち、いただく。飲み終えるとカップを戻す。
「ありがとう。」
神官長は一息ついた。
第1?話 突然の謁見予約
’21(R03)年02月18日 北離宮にほど近い園丁詰所。
庭園での手入れが終わり、仕事道具を片付けていた。
夕暮れ時、戻ってくる気配のない娘が気がかりとなっている。
「遅い……」
外から馬車と話し声が聞こえて来た。
園丁は待ちきれず、飛び出る。
「ローミィ」
園丁の目に飛び込んできたのはだんせいの宮務官だった。
「私はお嬢様ではありません」
「す、すみません」
宮務官は姿勢を正す。
「ビスマルク卿から本日の謁見予約が取れましたとのことです」
園丁は驚く。
「謁見予約ですか……」
「はい。ビスマルク卿より、必ず謁見の間の隣にある控えの間まで連れてこいと厳命されております」
「……娘が戻って来ていないので本日の謁見予約は取り消せないでしょうか」
「お嬢様の件はこちらで所在の確認と保護の対応を致します。申し訳ありませんが、謁見予約を優先していただきます」
「畏まりました。謁見の準備がございますので、少々お時間をいただけますでしょうか」
「それでは予約の時間を踏まえ、間に合うよう二時間後にお伺いいたします」
園丁は宮務官を一旦見送る。
詰所に戻ると寝室に向かう。
部屋の端に置いてある長持から、大きな布に包まれた一揃えの正装を取り出した。社交界の華と謳われた辺境伯令嬢を妻に迎える時に誂え、公式な儀式に参加することや謁見する機会に残しておいた衣装。縁がないと思われ、宝の持ち腐れ状態と化していたものだった。
「妻の言う通り、取って置いて正解だったな……」
園丁は天井を見上げる。仕度を整え、迎えの使者を待つ。
第1?章 執務室
’21(R03)年02月20日 更新
使者の案内で園丁詰所から馬車で帝宮まで移動する。身分のある貴族が出入りする表玄関ではなく、質素な作りの裏玄関に馬車は着く。
宮務官は園丁を連れ、長い廊下を歩く。控えの間が幾つも並び、その奥に謁見の間がある。その一つに案内する。
「整いましたら謁見の間にご案内いたしますので、こちらにお掛けになってお待ちください」
宮務官は退出していった。
園丁は椅子に座り、案内を待つ。
部屋にある調度品を眺めた。質素なもので統一されているが、質の良いものが並んでいる。
部屋の奥にある扉が開く。一人の男性が入って来た。
「待たせたな」
園丁はその声に驚き、立ち上がる。
「へ、陛下?」
「すまないが、部屋を変える。ここに案内をした宮務官には、すでに話を通してある」
「陛下」
有無を言わせぬ雰囲気が漂っている。
陛下の入って来た扉の奥には専用通路となっており、人目につくことなく目的の部屋にたどり着く。
陛下の私室に続く、個人的な客人用の応接室だ。
そこには神官長と巫女長の二人も待ち構えている。
園丁は三人の前で跪く。
「陛下、神官長、巫女長。お三方のご尊顔を賜りし栄誉、恐悦至極に存じます」
「宮廷園丁長。堅苦しい挨拶は抜きだ。まぁ、座りたまえ」
陛下は声をかけ、促す。
園丁は長椅子の下座に腰かける。
神官長は二通の書状を懐から取り出した。
「園丁長。そなたの娘は庭園で出会った男の子と一緒に神殿の庭園に行くと申しておったそうだな」
「左様にございます」
「男の子と女の子の二人で来ていたのは三組ほどおってな。神殿の禊場で簡易手順で行われた禊と通過儀式を受け、既に親元に戻っておる」
「左様にございますか……。それでは私も詰所に戻りませんと」
神官長は園丁を制止する。
「園丁長。慌てるでない、それはないぞ」
「なぜ、言い切れるのです」
「3組は貴族の身分を有した者の子供たちで、あちらから手短に終わらせてくれと要請があった。そなたの娘ではない」
園丁は困惑した。
「それでは娘はどこにいるのでしょうか」
神官長は暫く考え、告げた。
「そなたの娘は皇子妃託宣の儀に使われるはずだった花を儀式に戻させたことで意図せず女神の加護を授かったのだ」
「……どういうことでしょう」
神官長は続けた。
「報告によると、そちの娘は神殿に入る際に皇子と一緒に正規な手順で禊を受けて皇子妃の儀式に立ち会い、庭園を散策した後で慰霊の塔で祈りを捧げていたそうだ」
「娘には慰霊の塔や慰霊碑には祈りを捧げ、花を手向けることを教えていました」
「そうか……。それは例の件が関係しているのか」
「左様にございます。娘は今どこにいるのでしょう?」
陛下は書状に目を通し、告げる。
「そちの娘は神殿最奥の神域におる。限られた者のみが入れる女神の祠で皇子と一緒だ」
「……あの……。つかぬことを訊きますが、娘はいつから皇子殿下とご一緒だったのでしょうか?」
「そちと庭園で出会ったのは紛れもなく、朕の息子で間違いない。北離宮は大公宮とも呼ばれていた建物だ。気軽に休憩場所に使える訳ではない」
園丁はそのこと失念していた。
「皇子が皇子妃託宣花を持ったままそちの娘を連れて、女神を祀る祭壇に行っておるーー。皇子にそういう意図はないと思うが、託宣花を持ったまま女神の祭壇に行くという暴挙を許して欲しい」
「陛下……。娘は何をしでかしたのでしょうか……」
園丁は血の気が引く。
「そちの娘を神殿に出仕させるつもりはないか」
「娘を神殿に出仕させることに異存はございません」
「もう一つ。そちの娘が皇子妃に選ばれる可能性があること、託宣花はそういう面も併せ持つ」
陛下は暫く、沈黙する。
「……今すぐと言うわけではないが、考えておいて欲しい」
園丁も沈黙した。
「……陛下。この度はお披露目前の娘に皇子妃の候補という栄誉を与えていただき、恐悦至極に存じます。皇子妃候補に選ばれたことだけでも有り余る名誉ーー。皇子妃の候補の件、お慎んで拝辞させていただきます」
陛下は驚く。
「即答するか……」
「申し訳ありません」
園丁は跪拝したまま、沈黙を続けた。
陛下はため息を吐く。
「そちの申し出はこちらで保留にしておこう」
「……陛下」
「皇子の儀式で選んだ花と同じ品種のものを神官長に持って来てもらった」
神官長は細い花瓶に生けられた二輪の花を園丁に見せる。
「白雪薔薇と白雪百合だ。そちの娘が捨て置かれたものを見つけ、皇子に手渡した。困ったことに本物の託宣花はそちの娘が持っておる」
「……託宣花を返上するよう娘を説得します」
園丁は心配ごとを抱えてしまう。
「帝室会議で託宣花の儀式についてを報告するが、この白雪百合は出せぬ」
「心得ております」
「白雪薔薇が二つだったことにしたい。良いな」
「異存はございません」
「陛下。娘は……」
「明日も慰霊の塔で祈りを捧げ、神殿で庭園を見たいと言っているそうだ。出仕先は未定だが、そちの娘にもいずれは他の者たちと一緒に神殿に出仕することになるだろう。今後のためにも要望は叶えてやると良い」
「畏まりました。娘の出仕は決定でしょうか」
園丁は
「あぁ。託宣花に選ばれたからには出仕してもらうーー。巫女長」
陛下は巫女長に促す。
「陛下。見習い巫女待遇で迎えること、承りました。いずれはお披露目も視野に入れ、二輪の一つに育てましょう」
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