村上春樹さんの最初の短編は1980年3月発表の「中国行きのスロウ・ボート」だ。「死はなぜかしら僕に、中国人のことを思い出させる」という一節の後、出会った3人の中国人との思い出が語られる。背景を加藤典洋さんの「村上春樹は、むずかしい」で知った。
カギは29年後のエルサレム賞受賞時のスピーチにあった。そこでは、前年に亡くなった父親が20代で徴兵され、中国での戦闘に参加したことが明かされる。村上さんが子供のころ、父親は毎朝仏壇の前で、敵味方の区別なく、死んだ人々のため祈った。その場に漂った死の気配は父親から引き継いだ大事なものだ、と話す。
個人と歴史が深く関わり合う場をリアルに感じ取った村上さんは、自らの思いを作品に昇華させた。さかのぼれば、私たちの父母や祖父母も、近現代史の流れの中で、無数の喜怒哀楽を重ね、様々な選択をしてきた。その結果、今、私たちがこの社会に生きている。「個人を追求すると、歴史に行く」。村上さんの言葉だ。
日経新聞 春秋 2015/12/26 より
私も加藤典洋さんの評論作で、春樹さんを深読みすることができました。
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