・マロングラッセ
・ザッハトルテ
・チェリーと洋酒の入ったあのチョコ。(どれだ
あとはー、ダックワーズ、レーズンサンド。
こうして書いてみるとすごく分かりやすい好みだと思う。洋酒が入っていて、わりとしっとりしていて濃く甘い。
もちろんご自由にして戴くものなんですが、一度お気に入りにしてもご遠慮なくお外しくださいね。返すということをしてないですし、あまり本の登録もないのです。
つぶやきを見るのが好きで、好き勝手「ナイス」しますが、感想・つぶやき共に頂いた時に基本的に「ナイス」返ししてません。(「ナイス」を貰ったことがきっかけでその方のコメントを拝見して「ナイス」することはあります)
やっと10冊になったので「相性」を試してみた。「相性の良さそうな読書家さんを占うページ」とあった。なるほど、占うんだねえ。
最近はB'zに嵌ってます。
音楽は繰り返し聴くのに、漫画も結構繰り返し見るのに、小説は一度読んだらそれっきりがほとんどになってます。なんでだろー。
『星降り山荘の殺人』は再読したらきっとまたびっくりする自信がある。たしか前にも再読してその時もやっぱり結末忘れてたから。
再読したいな、と思う小説が、あんまりない。自分が読んできた大概の本は、それなら同じ人の別の本読みたいorメンドクサイが先に立ってしまう。消費っていう感じだろうか。なんなんだろう。人生と同じで一度きりとかそういうことなのか。「あんまりない」だけで全然ないわけでないからいいのか。再読したいと思わないことは悪いことなのか。はたして。
図書館で借りるのがほとんどだけど、機会があったら買ってそばに置いておきたいなと思う本がある。そういう本は、必ずしも再読したいわけではない。その物語を秘めた本(物体)が自分のそばにあったら嬉しいな、という感情だ。ちなみに記憶力は人並みか以下なので話をすっかり覚えているわけではまったくないです。(2011/10/29)
漫画を読み返すのは、一部だけ読んでも楽しめる点で気軽だからかな。たとえば十巻ものの、三巻目の一章二章だけ読んでも、見どころ読みどころは入っていたりするわけで、音楽もそうだろう。一曲が三分だったり、クラシックだったりするともっと長いのもあるかもしれないけれど、全部聞かなくても楽しめる(少なくとも自分は)。小説は、全部読みたいんだよな、基本的には。部分だけでも読みたいと思うものもないことはないんだけれど、ごく少ない。
小説を読む時、私はひとつの、結末を持った、お話を読んでいる。文章を楽しむ人もいるのだろうが、私は何より筋を読む。筋を楽しむ(※a)。結末を楽しみにしている、と言ってもいいのかもしれない。結末を先に知ってしまうのとか、好きじゃない。あ、これも読み返さない理由として大きいな。
ひとつめ、一冊読むには二、三時間、あるいはもっとかかる。これは音楽や漫画と比べると気軽じゃない(※b)。ふたつめ、読むにあたって結末を知っているという状態は好ましくない。このふたつが、私が、漫画と比べて小説を読み返さないことの理由だろうか。(2011/11/22)
それによって何を楽しむか、だな。再読したいなと思う本でまず思いつくものは、あらすじにあまり山とか谷とか意外な結末とか無いものだったもの。(2011/11/23)
リーダビリティの高い小説(というか、続きが気になる!っていう小説)って、なんかもう「読まされて」しまう感じだなぁ。本の方から引っ張ってもらえるのだ。読み進めるのは自分だけど、受動的な感じというのか。(2012/1/20)
空が晴れている日の気分のよさ、というのはなんとも。子どもの頃は、でも、思わなかったな。人の気分は、簡単なこと……じゃないか、天気はむしろどうにもならないものだった(晴れの多い国に行けばいいのか。笑)。周りの環境なんかに左右されるんだなあ。(2012/2/11)
2011/11/22の※bと※aより。
私が、漫画と比べて小説を読み返さないことの理由ひとつめ、
> 一冊読むには二、三時間、あるいはもっとかかる。これは音楽や漫画と比べると気軽じゃない(※b)
ということについて
私は音楽を聞くことだけに集中するっていうのはあんまりない。BGM的に流すか、いっしょに歌っちゃうか(笑)。まあ、後者は置いておくとして、そうなると30分とかパソコン使っている間ずっととか聞いているわけで、また、漫画をちょっと読み返し始めるとちょっとじゃ済まなくなって1時間とか見てしまう。小説を読むとき、一気に一冊読み終えるということは滅多にない(以前はあったなあ。遠い目)。
ということは、時間はそんなに関係ない気がする。
> 小説を読む時、私はひとつの、結末を持った、お話を読んでいる。文章を楽しむ人もいるのだろうが、私は何より筋を読む。筋を楽しむ。(※a)
こちらについて。私は、漫画や音楽を見たり聞いたり時は小説を読む時に比べて、より自分の感情を楽しませている気がする。ちょっと飛躍したようなことを言うが、心と体が結びついているとするならば、音楽や漫画は心(体)に作用するというか心(体)で迎え入れる。それに対して、小説はやはり私にとっては筋(「すじ」ですよ筋肉の「きん」じゃないですよ。笑)であり、それを入れるところは頭がメインだ。ストレッチならちょくちょくするものだし、えっと、……頭のほうは何にたとえたらいいのだろうか。
もうひとつ思ったのは、ひとつの小説はひとつの人生だから読むのは一度でいいということだけど、これはまたあとで書こう。
ところで今回、自分の自己紹介を読み返したらなんかちょっと「嫌な奴」の文章だった(笑)。自己紹介っていうよりも、ほとんど自分に向けて書いております。失礼しています。<(_ _)>(2012/2/11)
B'zに嵌って1年経ちました(いや、何の報告か)。(2012/7)
小説を読むときに、自分の今の生き方について背中を押してくれるような肯定してくれるようなこともあるんだよなあって思った、今更。それは話のテーマとしてあるいは主人公として出てくるかもしれないし、一人の脇役として出てくるかもしれないし、一段落のなかの一文として出てくるのかもしれない。作者がそれをメインとして書こうとして書いたのかもしれないし、小説を書いている中でひょこりと顔を出したのかもしれない。
作者が意識的によし応援したろうと考えて書いたのかな、と読み終わって思ってしまうくらいの小説は、ちょっとそうか、と思ってしまうが(←すみませんココ特に説明下手)、特に私に向けて書かれたわけでもないような顔をして、けれど私の欲しかった、そういう他人の言葉はけっこう心強い。(2012/8/11)
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