その首謀者であるパウロは、イエスの十字架での刑死という不慮の出来事に意味を与えるべく、神が人間の罪を贖うために身代わりで死んだと再解釈したのである。」、などの指摘は明快だ。 著者がニーチェを「戦慄すべき道徳性の分析家」として評価しながら客観的に批判できるのは、あとがきに卒論でニーチェに取り組んだのちにカントを研究したときに、「ニーチェのある側面は、カントの前で色褪せて見えるようになった。」ということにあるようだ。(続く)
そして次第に彼は、「ニーチェの方法論の核心にはカント的な超越論哲学の伝統があるはずだ」という予感は確信になっていたという。 このような研究経緯を率直に述べていることに好感を持った。(了)
私の研究分野
・日本近代史・世界近代史
・社会思想
・心理学
・哲学
具体的に関心のある問題
・日米関係
・欧米と周辺国の関係
・ナショナリズム、コスモポリタニズム
・ジェンダー問題、家族問題
・自己と他者をめぐる謎について
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その首謀者であるパウロは、イエスの十字架での刑死という不慮の出来事に意味を与えるべく、神が人間の罪を贖うために身代わりで死んだと再解釈したのである。」、などの指摘は明快だ。 著者がニーチェを「戦慄すべき道徳性の分析家」として評価しながら客観的に批判できるのは、あとがきに卒論でニーチェに取り組んだのちにカントを研究したときに、「ニーチェのある側面は、カントの前で色褪せて見えるようになった。」ということにあるようだ。(続く)
そして次第に彼は、「ニーチェの方法論の核心にはカント的な超越論哲学の伝統があるはずだ」という予感は確信になっていたという。 このような研究経緯を率直に述べていることに好感を持った。(了)