女性銀行員のこれも過去にあった事件がモデルになってたりするんでしょうか。話がかなり具体的でモデルがあり、それについての細かな調査類があったとしか思えないのですが、モデルになった事件などについて著者コメントのようなものは探しても無さそうでした。エッセイなど読むと出てくるんでしょうか。
どうも自分は精神が自己確信しつつそれを乗り越え続ける永久運動のようなものは次第に薄っぺらい形骸化した、空虚な空回りへと転落し、どこかで破綻が生じるように思ってしまいます。例えばM.ウェーバーの予言もそういうものだったと思いますが、ヘーゲルの絶対知というのはそうならない何か仕掛けが、あるいは外的な要因があると想定しているのかどうか。それは国家間の戦争だったりするのかもしれませんが、本当にそうなのか。インターネット時代にも有効なのか。
今回読んだ長谷川宏訳は本書を驚くべきわかりやすさで訳した、といった形で発売当時話題になったと記憶しています。自分はそれにつられてとりあえず買ってしまったのですが、全く手を触れずにあるときPDF化して放置してました。研究者からは結構批判があるのと、現在だと最新の熊野純彦訳が文庫で出てるのでそちらがよいのかもしれないですが、今回熊野訳も買って時々比較して読んでみたのですけど、長谷川訳のほうがわかりやすく、悪い翻訳とは全く感じませんでした。次に読むときは熊野訳で挑戦してみたいと思います。
あとこれ読んで思ったのは、凶悪犯罪的なものはやはり人間関係が濃いところに発生しやすいのだなと。一方で現実社会では凶悪犯罪は減り続けていて、以前警察庁の人だったと思いますが、そういった統計の発表時に減った理由を聞かれて「ネットなどで人間関係が希薄になったからではないか」と言っていた記憶があります。そういう意味では他人を憎悪することが少なくなった、というより憎悪すらできない社会になりつつあるのかもしれません。
一応冒頭に例によってこの小説は「フィクションであり事実とは異なる」と書いてあるわけですが、作者は事件の取材的なことはやっているのだろうか。いつも読んでいて気になってしまうのですが、どこかにそういったインタビュー、あるいはエッセイのようなものないでしょうかね。どうも事情を知ってて書いてるような気がしてしまう(笑)。
精神科医の中井久夫氏が、多重人格というのは実際は人格数が少なくなってしまう病で、健康な人格は超多重人格だ、と述べていた記憶があります。普通の状態というのはその超多様な状態の間を行き来できる自由さにあるのでしょう。「平和」も同じではないか。戦時というのはハッキリとした社会的目標設定がなされ、死を前にした決断というものが迫ってくるために、複雑さが回避されてしまいそうですが、平和な時代は常に「あれもこれも」と想像を膨らませ、そのよく分からない状況の中で何かしらの選択をし、しかし特段何もできないような気分が続く。
そういう平和で平凡なものというのはだから扱いが最も難しい。何かその自由さを制限するようなショッキングな事件や、あるいは現実から離脱したファンタジーに飛んでしまうほうが楽なんだろうと思います。それを真正面から受け止めて描くというのですから凄いと思うと同時に、「平凡」というものは一方で説明的なものだったり、哲学的思考のようなものではなく、小説のような形式でこそ最も接近できるのではないか。今回この作品を読んで改めてそう感じた次第です。
これがソ連時代の不遇の扱いで出版できず、死後26年経ってやっと検閲削除ありで世に出たというのだから驚きですね。完全版出版後は世界的ベストセラーになったということで、埋もれたままにならずに本当によかったなと思います。
今回読んだのは岩波文庫版のものですが、この翻訳は以前池澤夏樹編集の世界文学全集として出ていたものと同じということで、もともとそちらでもかなり評判よかったと記憶してます。同じものが文庫化されててよかったです。翻訳はとても読みやすく、日本語としての違和感がこれほど無いものも珍しいのではないでしょうか。
時々時間があるときは大きめの書店に立ち寄って眺めて歩くことがありますが、amazonで検索して探したりするのとは全く違って、色々刺激があります。それもまた書店の意図、システムなんだと言ってしまえるのでしょうけど、どうも属性や売上などで分類、ソートするのとは異質だと思ってしまうのは古い発想なのかどうなのか。
角田光代作品で短編集は初めてでしたが、今まで読んだ長編とはちょっと違って爽やかで軽快なものばかりでした。なのですが、やはり文章は凄いし、うーむそうか、と考えさせられる、いや、感じさせられるものばかりです。こうやって自由自在に書けてしまうというのは本当に凄いですね。おすすめ作品です。
自分が今まで読んだ角田作品全てそうなのですが、どうにも埋め合わせようのない暗闇に入り込み、行くところまで行ってしまった後に不思議な開放感のある場へと出ていく、それは実はそうしないと物語として収まりが悪いということだったりするのかもしれないですが、救いようの無さをこれでもかというくらい描いた後に来る何か、というのを感じさせるのは凄いなと毎回思います。
女性銀行員のこれも過去にあった事件がモデルになってたりするんでしょうか。話がかなり具体的でモデルがあり、それについての細かな調査類があったとしか思えないのですが、モデルになった事件などについて著者コメントのようなものは探しても無さそうでした。エッセイなど読むと出てくるんでしょうか。
最近老眼が進んできたために焦って読書中の50代男性です
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自分が今まで読んだ角田作品全てそうなのですが、どうにも埋め合わせようのない暗闇に入り込み、行くところまで行ってしまった後に不思議な開放感のある場へと出ていく、それは実はそうしないと物語として収まりが悪いということだったりするのかもしれないですが、救いようの無さをこれでもかというくらい描いた後に来る何か、というのを感じさせるのは凄いなと毎回思います。