没後、天神信仰の形で、摂関政治に対するオルタナティブとして民衆サイドには膾炙したものの、現実政治は道真の構想とはおよそ異なる、中央・在地の結託の中で展開されていき、在地の一般庶民は搾取され苦しむ社会がしばらく続くことになる。
その際、起草者たるベアテ・シロタの草案を手がかりに、同草案が24条を社会権条項群の冒頭規定として位置付け、25条の生存権、教育を受ける権利、労働基本権を配置して行っていることから、24条を社会権総則規定と理解した上で、同条2項の「個人の尊厳」解釈を導くのは鮮やかな論証である。安楽椅子に腰掛け理論を練るのではなく、実地でホームレス支援に携わってきた笹沼だからこそ書ける迫力がある。
現在の花形・憲法21条とかよりも、24条の方がよっぽど重要なのではないか。笹沼が指摘するように、従来、24条は憲法の基本書で良くて刺身のツマ程度の扱いであったが、近時、非嫡出子相続分、夫婦同氏、同性婚、トランスジェンダーと、社会の変遷に適合しない家族法が単に民法上だけでなく憲法上も問題視されており、それだけ弥縫策ではない抜本的な社会のグランドデザインの変更・提示が求められているということなのだろう。
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