形式:新書
出版社:集英社
◆「わたしは、炭鉱事故や閉山というきわめて異常な事態をなんどか取材してきた。そのひとつの反省として、突発的な異常をみつづけていると、日常的に継続する小さな異常に無感覚になっていく傾向がある。(略)これから原発で発生するかもしれない極端な事故を想像して、その日からはじまるであろう生活の悲惨な崩壊と肉体的苦痛を、原発批判のバネにしたにしても、それはいわば仮定の話である。しかし、原子炉の定期修理(炉修)作業などによる下請け労働者の被曝は、日常的に、現実のものとして発生している。大事故にくらべてみれば、(続)
…それは、小さなものにしか見えないかもしれないが、人間の生命と生活がかかっている。無関心でいるわけにはいかない。最近になって、ようやく、白血病などによる被爆死もまた原発労働に因果関係があった、と国によって認められ、労働災害保険が適用されるようになった。被害者のほとんどが下請け労働者である。原発労働と被爆は炭鉱労働とじん肺の関係などよりもはるかに深刻であり、かつ防止が困難である。被爆者を日常的に産みだす労働とは、はたして社会的に許されるべきであろうか?(pp.247-248)」
竹園さん、そう言うんだと思います。たとえレベル7の過酷事故が起こっても、その影響は「アンダーコントロール」だそうですから。10年たっても戻れないエリアがあるのに・・・。
もぐさん、同感です!あの時、東日本が人の住めない場所にならなかったのは、ほんの少しの幸運が重なった結果だといいます。そんなリスクを侵してまで使い続ける理由、どうしても思いつきません。周到に原発なしでは立ち行かない地域を作り上げたこと、その責任は誰が負うのでしょう。のうのうと恩恵を受けてきた自分自身への腹立ちも含め、やりきれない思いです。
「これから原発で発生するかもしれない極端な事故を想像して、その日からはじまるであろう生活の悲惨な崩壊と肉体的苦痛を、原発批判のバネにしたとしても、それはいわば仮定の話である。しかし、原子炉の定期修理(炉修)作業などによる下請け労働者の被曝は、日常的に、現実のものとして発生している。大事故の恐怖にくらべてみれば、それはちいさなものにしかみえないかもしれないが、人間の生命と生活がかかっている。無関心でいるわけにはいかない。」
この機能をご利用になるには会員登録(無料)のうえ、ログインする必要があります。
会員登録すると読んだ本の管理や、感想・レビューの投稿などが行なえます