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原発列島を行く (集英社新書)

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くれって
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利権にまみれた国・電力会社と、突如として白羽の矢が立った地方の住民との原発をめぐる攻防が、日本各地を実際に渡り歩いた筆者によって仔細に明かされている。2001年の著書だが、既に事故を予言し原子力政策に警鐘を鳴らす前書きが恐ろしい。「カネがある=豊かである」ではないということ、原発は「地方財政のカンフル注射」であって交付金の魔力は一過性のものであるということが新たな知見だった。東濃・珠洲・馬毛島・巻など、かつて計画のあった地域の多さにも驚く。理不尽や矛盾は対岸の火事ではない。「原発は民主主義の対極にある」。
0255文字
makko
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再読。現在ウクライナでは原発が乗っ取られている。日本の原発は3.11以後運転停止。電力不足の現在、再稼働可能のニュースが聞こえてくるが、このまま静かに朽ちていってほしい。
0255文字
モリータ
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◆'99-'01年『週刊金曜日連載』に加筆、'01年刊。六ケ所村、東濃、上関、島根、敦賀、伊方、大間、珠洲、馬毛島、東海村、川内、むつ・東通り、刈羽、富岡、巻、泊、浜岡。◆原発や処分場(候補)のある自治体の市民は、それらと縁遠い人口稠密地の住民が経験することがないであろう、金や土地、人間関係、そして政策をめぐる峻烈な対立にさらされる。裏を返せば、彼らこそ民主主義を鋭く実感し、実践している人びと、ということになる。◆無理なハコモノ一般に言えることだが、著者も度々触れているPR館の白々しさ、残念さといったら…
モリータ

◆「わたしは、炭鉱事故や閉山というきわめて異常な事態をなんどか取材してきた。そのひとつの反省として、突発的な異常をみつづけていると、日常的に継続する小さな異常に無感覚になっていく傾向がある。(略)これから原発で発生するかもしれない極端な事故を想像して、その日からはじまるであろう生活の悲惨な崩壊と肉体的苦痛を、原発批判のバネにしたにしても、それはいわば仮定の話である。しかし、原子炉の定期修理(炉修)作業などによる下請け労働者の被曝は、日常的に、現実のものとして発生している。大事故にくらべてみれば、(続)

02/14 10:25
モリータ

…それは、小さなものにしか見えないかもしれないが、人間の生命と生活がかかっている。無関心でいるわけにはいかない。最近になって、ようやく、白血病などによる被爆死もまた原発労働に因果関係があった、と国によって認められ、労働災害保険が適用されるようになった。被害者のほとんどが下請け労働者である。原発労働と被爆は炭鉱労働とじん肺の関係などよりもはるかに深刻であり、かつ防止が困難である。被爆者を日常的に産みだす労働とは、はたして社会的に許されるべきであろうか?(pp.247-248)」

02/14 10:25
6件のコメントを全て見る
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takao
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ふむ
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Miki Shimizu
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原発についての国民投票する映画の参考文献になってたから買って読んでみた。2001年ってなってる。原発ができたところ、反対運動中のところ、あちこちで話を聞いて、お金の動きを調べて書いた本。
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rico
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初版は2001年出版。2011年5月の第三刷を10年ぶりに再読。冒頭の立地図。海岸沿いにずらっと並ぶ原発。その多くは、都市から離れ過疎に悩み、しかも地震のリスクが高い地域。言うなれば、札束で頬を叩きながら「迷惑施設」を「安全」だと言いつつ押しつけていったことが、この図だけでも見てとれる。著者は全国を巡りその実態を暴く。掲載された雑誌の性質を考慮する必要はあるが、本質的な構造は変わっていないように見える。あの事故を経てなお「安全神話」なしには動かせない原発を推し進める意味は何なのだろう。
rico

竹園さん、そう言うんだと思います。たとえレベル7の過酷事故が起こっても、その影響は「アンダーコントロール」だそうですから。10年たっても戻れないエリアがあるのに・・・。

03/21 12:09
rico

もぐさん、同感です!あの時、東日本が人の住めない場所にならなかったのは、ほんの少しの幸運が重なった結果だといいます。そんなリスクを侵してまで使い続ける理由、どうしても思いつきません。周到に原発なしでは立ち行かない地域を作り上げたこと、その責任は誰が負うのでしょう。のうのうと恩恵を受けてきた自分自身への腹立ちも含め、やりきれない思いです。

03/23 00:22
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0255文字
honyomuhito
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本書は週刊誌に連載されていたルポに手を加え、2001年に出版されたもの。福島第一原子力発電所事故の起こる、ちょうど10年前。福島を含め、全国の原子力発電所を有する地域、中間貯蔵所の候補とされていると思われる地域が出てくる。まあ、この狭い国の津々浦々に、よくここまでといった感じである。本書を読んで、私は原発について何もわかっていないということがわかった。しかし原子力発電って、わからない人間が多数のまま触っていいものなのか。https://chirakattahondana.com/原発列島を行く/
0255文字
ヴェネツィア
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本書の刊行は2001年。大震災に起因する福島第1原発事故の10年前だ。この時点では「もしも津波が発生したとき、海の水位は急にさがる。すると冷却水の供給が間に合わなくなる」と懸念していた。ところが、現実はそれを遥かに上回る未曾有の災害となった。しかも復興の見通しは全く立っていない。著者の鎌田慧は全国の原発を踏査するのだが、いずれも信じがたいほどの金まみれ。そうしなければ原発はできないからだ。欺瞞に次ぐ欺瞞だが、残念ながらこれが現在の日本の政治状況である。使用済み核燃料の行く先は不透明なまま列島周縁を彷徨う。
0255文字
kinkin
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1999年から20001年にかけて「週刊金曜日」に連載されたルポに加筆したもの。全国17箇所の原発、関連施設を取材しその現状が伝えられる。立地する際、立地後、稼働後と電力会社や国、行政は様々なやり方で住民への問題や事故の説明責任を回避する。3.11の原発事故でようやくいかに危険な管理状態でやってきたかが明るみになるが、この本はその約10年前に出版されている。もんじゅの廃炉がほぼ決定した。莫大な税金を投入した結果得ることがないまま終焉を迎える。原発が一体何なのかを考えることができる一冊と感じた。
0255文字
makko
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再読。2001年初版。3.11.前の著書。「カネは一代、放射能は末代」「原発は民主主義の対極にある」等いささか熱いルポライターの叫びとも思った当時だった。いまは見開きの電子力発電所立地図にため息。「第13章 矛盾噴き出す原発銀座の未来ー福島県双葉町・富岡町」の最後に「…いよいよ、原発の店じまいの方法を具体的に考える時期になった、とわたしたちは話し合った。」とある。震災による店じまいとなってしまった今日、改めて当時の第一原発の写真を見つめる。
0255文字
おらひらお
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2001年初版。普通に考えてなかなか地域に受け入れ難い原発関連施設が建設されていく過程の事例をみたものです。17事例挙げてありますが、うちの近所のものが紹介されていませんでした・・・。基本的にカネですが、その金を当て込んでしまうと地域社会の崩壊や原発依存に陥るようですね。これから新設されることはないでしょうが・・・。
0255文字
竹園和明
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「明るい未来のエネルギー」と称し、産業の衰退等で疲弊した町や村にカネの餌をチラつかせながら原発設置を推進してきた国と電力会社の悪行三昧。そしてその魔力に目がくらみ、私利私欲のために設置推進のポジションに立った立地自治体の首長らの狂気の様がすべてわかるルポです。電力会社、当時の役人や政治家の横暴なやり口によって設置された原発が数十年の時を経て今や日本中を危険地帯に至らしめていることを考えると、彼らの罪の重さがいかに重大であるかを再認識します。
0255文字
田中博史
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1999年~2001年にわたって書かれたルポルタージュ。 原発は国策民営だから責任の所在が曖昧。 それでももし事故で会社が傾いたら公費で救済されるんだろう。 もしも津波が発生したとき、海の水位は急にさがる、冷却水の供給が間に合わなくなる。 10年も前からすでにこれだけのことが語られていたのに、いったいなにが想定外だったんだろうか。ちなみに鎌田さんは現在の心境について、 ほれ見たことかなんて気持ちには到底なれない、自分はいままでなにをしてきたのか と発言している。 本物の知識人だと思う。
0255文字
よろず
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鎌田慧を読むのは高校生の頃に管理教育を扱ったルポを読んで以来。地方の犠牲の上に成り立ってきた原発。一方で地方は原発を受け入れることによってカネを得、そして結果として退廃(人心の荒廃も)を招いてきた。鎌田は全国の原発立地点を歩き、原発がいかに人間にとって本質的な“毒”であるのかを曝している。弱者に犠牲を強いることを露ほども罪だと感じていない、そんな人間どもがまたぞろ原発を再開させようとしている今だからこそ、この本に書かれているような事実を知る必要がある。
0255文字
無名積読家
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図書館
0255文字
Yuko2
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「カネは一代、放射能は末代」「カネと命の交換開発」は、言い得て妙。自然環境破壊と地域住民の健康被害のリスクを考えたら、原子力発電所建設などあり得ないはず。原発推進派ほど愚かなカネの亡者はいない。
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MonoWaTameshi
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鎌田慧さんの本を読むなんて何年ぶりだろう。この本は色々言われることも多い『週刊金曜日』90年代末からゼロ年代初めの時期の連載をまとめたもので、初版は2001年11月21日付けになっている。今回手にとった本は2011年6月14日付4刷。この時期増刷をかけるなら、各章に簡単でいいから補遺を入れてほしかった。それにしても原発が稼動している自治体がその安全性を説明するとき「国が安全だと言っているから」と軒並み口を揃えることに慄然とせざるをえない。福島の章では「津波」の恐怖も語られている。後の祭りだ。
0255文字
pierre-morgan
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昨今の「原発運転を再開しないと,日本経済はとんでもないことになりますよ」という主張と,本書でたびたび言及される原発立地地域が「原発漬け」になっていく過程が気持ち悪いまでにシンクロしています。極論ではない,冷静な議論を行う場を用意できる政治家が今,求められていると感じました。
0255文字
神楽岡
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原発立地の人々の思考停止、原発村の思考停止。それらを他人事と笑い飛ばす事が出来ない。それほどまでにお金の力は怖い。 結局「お金より大事なものがあるよ」と言い切れる人間でないとこの流れには勝てない。
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やまべ
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「はじめに」には「いまのわたしの最大の関心事は、大事故が発生する前に、日本が原発からの撤退を完了しているかどうか。つまり、すべての原発が休止するまでに、大事故に遭わないですむかどうかである。大事故が発生してから、やはり原発はやめよう、というのでは、あたかも二度も原爆を落とされてから、ようやく敗戦を認めたのと同じ最悪の選択である」(P7)とあるが、実際には原子力災害の脅威というより、原発がいかに立地地域を荒廃させているかという点に重点が置かれたルポ。ちなみにあとがきの一文も実に印象深い(続く)。
やまべ

「これから原発で発生するかもしれない極端な事故を想像して、その日からはじまるであろう生活の悲惨な崩壊と肉体的苦痛を、原発批判のバネにしたとしても、それはいわば仮定の話である。しかし、原子炉の定期修理(炉修)作業などによる下請け労働者の被曝は、日常的に、現実のものとして発生している。大事故の恐怖にくらべてみれば、それはちいさなものにしかみえないかもしれないが、人間の生命と生活がかかっている。無関心でいるわけにはいかない。」

06/09 10:55
0255文字
こともえ
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3.11がなければ手に取ることなかった本。 情報を多元的に収集することがいかに必要かを考えさせられます。 クリーンで安全・コストが安いということを謳い文句にして「お金」により強引に推進されてきましたが、最終処理も決まっておらず、クリーンでも安全でもコスト面でもメッキがはがれ、停電する必要があるといってもピークは午後2-3時の一時的な時間帯なはず。稼動していなかった発電所の再開で余力もできた。これでも「原子力」に拘り、自分達自身、次の世代、他国を厳しい状況に追い込んでいく理由はないはず。必読。★3つ。
0255文字
ひろかず
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お金さえあれば、何事も解決されると思う人がいる。また同様に、その考えに基づいて行動する企業もあるのだと知る。 札束で解決を迫り、屈服してしまう人がいる。 「未来のことは考えてはいけない」。このやり方は、この会社の骨の髄に染みついているのだ。 絶対損をしないシステムに守られた会社に、多くの人々がたかる。群がる。
0255文字
カネコ
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0255文字
hayatama
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この方、反原発ということは理解した上で読んだのだけど、多分、今頃「ほら言わんこっちゃない」と言うてんねやろなぁ。細切れなルポという感じで、主張が前に出過ぎ。ルポというよりは、主張やな。もう少し冷静な文章を期待してたのに。少々残念。
0255文字
aki
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2001年の刊行。青森県六ヶ所村、北海道泊村、静岡県浜岡町など各地の原発反対運動にスポットライトをあてた本。「原発の危険性に対する批判に、東電はかつて、『避難するような事故は起きません』といっていた」と。原発のことは他人事のように感じ、たいして興味を持っていなかったことを大いに反省。福島第1原発が無事冷温停止状態になったとしても、廃炉・解体、その先にある放射線廃棄物の貯蔵・保管を考えると、いったい何年かかることか。解体した燃料棒、圧力容器、格納容器などは六ヶ所村に持ち込むのだろうか。
0255文字
sasha
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クリーンエネルギーは幻想にすぎない。原発の推進は自然どころか人の心も汚染する。
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みっきぃ
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2011/06/06 <a href="/cmt/11566761">旧コメント</a>
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