大塚のピアノ運送店になぜか一台余っていた。 背面に毛布を被せて、ピアニッシモで弾いた。 それで特異のピアニッシモニになったのか?それはあるかも。 3年で返す時はつらかった。 京華中学の仲の良かった子の音楽仲間に浜田徳昭の弟がいた。 鈴木博義、福島和夫と知り合う。 鈴木は井口愛子の教えを受けていた。 玉川学園。 ドイツ音楽でもユダヤ人作曲のものはダメ。 オーケストラの音の出し方を知った。
第二の発見は、器楽の絶対音楽を発見したわけです。 日本では言葉と音楽を切り離すことはできない。 ところが、私はそのとき、単独で演奏され、驚くべき感覚を味合わせてくれる楽器を聞いたのでした。
(吉田直哉演出、チーフプロデューサ) 吉田のその前の作品、『廃墟』早朝、焼け跡に立ち、意外なほど落ち着いていた。 透明なものであった。 このころの心象風景、のちの武満の作品に深い影響を与えている。
リュシェンヌ・ボワイエというフランスのシャンソン歌手の『パレル・モア・ダムール』(私に愛を語って)というシャンソンです。敵性音楽でしt、その一曲だけでした。他の人も、みなおなじでした。(『私の中の日本人』)
癌で入院はショック。 私自身も。 気力、体力失った。 この原稿、死なすわけにはいかない。 連載完結後十八年、取材秘話は1993。 1.食糧基地で聞いたシャンソン。 1930生まれ、10歳上。 30歳(1960)、初めてその名を聞いた。
現代音楽の創作のど真ん中、「調性」の問題をもってくる。伝統的なヨーロッパ音楽の語法の柱、= ドミソの和音、とドレミファソ・・・の音階。 これに対して現代の日本の作曲家としてどう対決するのか?
今日、アマゾンで買いました。今手元に来てます。ページ、開けると、2段で、隅から隅まで字だらけ。溢れそうです。昔の本ならともかく、最近みません。781ページ。
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