形式:単行本
出版社:亜紀書房
形式:Kindle版
「待つ」より。<ある時期が来るまでは、どうしても読み通すことができない本がある。私にとっては石牟礼道子の、『苦海浄土』がそうだった。はじめて手にしたのは16歳、高校生になったばかりのころで、文庫本を新潟の古書店で買ったのを今でも鮮明に覚えている/「死民」の一語を通じて、高校時代から数えて四半世紀の後に私は、『苦海浄土』と向き合えるようになった。だが、読書は今も終わらない>。『苦海浄土』に関しては、著者と同じような経過を辿っている(ただ、買ったのは大学生で、新刊文庫本を)。わたしも、読書は今も終わらない……
「念ずる」より。<「おもう」という言葉だが、この一語には、容易にたどりつくことのできない奥行きがある/願うとき、人は自らの願望を神々に聴き入れて欲しいと強く思う。しかし、祈念の動きは逆で、人間の思いを神々に届けることではなく、神々のおもいを受け止めようとすることだろう。人は、自らを超えた者を迎え入れるために、願望の部屋に祈念と念願がたゆたう場所を作らなくてはならない。あふれる思いを静寂な「念い」へと育てていかなくてはならない。そうした営みを私たちは、ときに「愛する」と呼ぶのではないだろうか>。そうですね。
人生には、まったく本が読めなくなる時期がある。…そうしたときは、誰かが書いた文字を読む時節ではない、自分が書いた言葉を読め、と何者かが告げているのである。…うごめく想いを言葉にしてみる。誰に見せるためでもなく、ただ偽らない気持ちを書いてみる。本が読めないときは、自分と向き合う時機でもある。」いつか、本が読めなくなる時が来たら、この言葉を思い出そう。
色々なことを書き出してみるのは、自分自身の新しい発見もありますね。時には書いてみるのも良いものだと思います。👍
なぜこの人の言葉に共鳴するのか、触れるたびに考えさせられる。それでもいつかは感じ方も変わるのかなあ。
著者若松英輔氏は「あとがき」で云う、“つねに念頭にあったのは染色家の志村ふくみさんである。敬愛する書き手であり、人生の先達だが、何よりも言葉を紡ぐとはどういう営みであるかを、私は彼女に教わった。「芸術とは人をなぐさめ、よろこばせることは言うまでもないが、実は人を蘇生させる程の力を持っている」と彼女は書いている。・・・この本を千の感謝と祈りと共に彼女にささげたい。”と。共感した。
モリーさんのレビューを拝見して、吉村さんのほうも読んでみたいと思います♪
momoさん、おはようございます。嬉しいお言葉ありがとうございます。私も読み返したくなりました。😊
▽「言葉さがし」をする(したい)人には、一読して損なしとおすすめしたい。 ▽書中の引用文が、巻末の「ブックリスト」にまとめられている。参考文献として有用。
引き寄せ!私もよくあるんです。夏子さんの名前が入ってるものを立て続けに読んでいたり、「あなたのことは好きよ」という台詞をこっちとあっちで読んだり、水風船が出てくるタイミングで同僚が水風船やろう!と言って私は水風船を持ち帰ったり...
なんだか立て続けにあれこれすごい…!狙う気持ちがないのが良いのでしょうか。濫読の引き寄せの侮れなさは読書人あるあるだと信じてます\\\\٩( 'ω' )و////
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