形式:文庫
出版社:中央公論新社
形式:Kindle版
子を捧げさせられるエブラハム、極限の苦境にイェホバの応答求めるヨブ記の箇所は真に迫り、やはり原典読んでから遠藤周作などは読み直したいと改めて思った。そして吉本隆明が解説という豪華さ。1984〜86連載、1991年改題刊行。今後再読すると思う
そんな色川の思いにあった基準点こそ『旧約聖書』であり、永遠性、普遍性、絶対性、全知全能といわれる「神」の概念だったのだろう。ゼロポイントがあってはじめて人間は自分がいまどっち方向に何ポイント進んだところにいると知り、心安らぐものなのだろう。基準点を何にするかは人それぞれだろうが、それが無く、自分本意の生き方というのは、色川の言うとおり盲目飛行(根無し草のような生き方)に他ならないのだろう。大変考えさせられる再読であった。
私も筆者と同じ無宗教者だからニュートラルな状態で人と神との近しい存在、対等さに共感するのかも。「神の律」にそむいたのだと考えた時、例えばタイタニック号の沈没とか水遊びの水難事故とか色々な災難も人間による「自然を甘くみたら」「科学技術の進歩による慢心」「欲をかいたが為の神への冒涜」などと漠然と感じてしまう。神という存在がそういった人間の傲慢さや慢心を戒め書に書き記したのだとしたらそれが人間の叡智なんでしょうね。雑感でした。筆者の滑舌のよい語りが移った酔っぱらいのデュボネでした。
あもさんも災難だな(笑)
知らないところで!(笑)どぅわっぷー!!セリーヌディオンみたいなやつは覚えた!
社会で律法を厳守したとしても、自然災害などは防ぎえない面がある。そこにこそ神と人との契約(苦難を受け入れる覚悟)が必要という趣旨が旧約にあるのは興味深かった。旧約の時代でさえ、政治によって解決されない問題こそ宗教の独壇場だと考えられていたことが知れたのは大きな収穫だった。
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