形式:新書
出版社:中央公論新社
内容がよかっただけになんで捏造問題を起こしたのかが全く不明である。
私も、この本に感銘を受けて激賞した一人ですが、その後、深井先生の著作・論文捏造事件が発覚し、大学を懲戒解雇になり、本書への「読売・吉野作造賞」の授賞が取り消されるという衝撃的なニュースにつながりました。読売新聞の検証では、「本書における捏造、盗用などの不正行為は認められませんでした」ということなので、この本の価値が減ずることはないと思いますが、学会の権威であり、また、牧師でもある深井先生の事件は、未だに心に引っ掛かり続けています。
trazom様、ご教示くださりありがとうございます。深井先生の一件は全く存じあげませんでした。折角の碩学が、真理の探究を逸脱して名誉欲がらみ等で安易な隘路に踏み込んでしまわれた等ということは信じたくはなく、何とも切ない限りです。本書自体は私自身のこれまでの理解、すなわちルター以降宗教改革が始まりキリスト教がカトリックとプロテスタントに二分したという短絡的な認識を改めることもでき、大変参考になりました。ありがとうございました。
それに異を唱えたのがルターだ。神は悔い改めたから赦すのではないか。1517年の95ヶ条の提題から始まる。ドイツは諸侯の連合体で、選帝侯による選挙で選ばれた者はローマ王となる神聖ローマ帝国である。実際には教皇に搾取されていた。それを面白く思わない諸侯はルターを助け神学論が政治問題化した。ルターは教皇の主張を修正することを望んだが、ルターは破門され、カトリックから抗議する者プロテスタントと呼ばれた。福音主義が正しい呼び方だ。アウスブルグ信仰告白をし、アウスブルグ宗教平和で領主が宗教の決定権を持つことになった。
カトリック・プロテスタントのルター派及びカルヴァン派は領主の宗教決定権に従う。それ故ルター派・カルヴァン派は古プロテスタンティズムと呼ばれる。それに対しルターが唱えた「聖書のみ」「全信徒の祭司性」「信仰のみ」から聖書を自由に解釈し、ルターらの改革に対し「改革の改革」を求める者が出てきた。個人の信教の自由を主張する洗礼派パブテストらだ。これらを新プロテスタンティズムという。古はドイツに多く、王制に馴染み保守的だ。新は主にピューリタンらだ。新大陸で国家に依存しない教会を作った。自由競争を重視する社会となった。
古プロテスタンティズムは、ルターやカルヴァンらのそれであり、アウクスブルクの宗教和議で法的地位を認められることで、政治勢力と結び付くことに。個人に「信じる自由」はなく、教会への所属は強制であって、1つの政治支配領域に1つの宗教、宗教を決めるのは領主という点では、カトリックと同じ。それは、ルターの「改革」があくまで「Reformation」であることからも分かる。ゆえに保守化し、国家と一体となって、領主と協力して領内の宗教を統一し、秩序や道徳を提供するシステムとしての教会に。
他方、新プロテスタンティズムは、ルターらの改革の不徹底を批判し、個々人の主体的に信じる自由を要求。教会を、自覚的な信者による自発的結社として理解するとともに、幼児期の洗礼は、そこに意志がなく、強制によるものだから無効だとする。バプテスト、洗礼主義。国家との関係を回避し、教会は中間団体に。この新プロテスタンティズムの人々が、人権やデモクラシーの担い手となり、近代世界の成立に寄与。
研究不正をした人の本だったのか!気付かずに読んでしまっていた。
著者は論文の捏造等をしていたことが発覚。かなり面白い新書だっただけに残念。
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