形式:単行本
出版社:幻冬舎
形式:Kindle版
共感できなかった部分 放射線医師の近藤誠氏の主張が本人の方針だったらしい。世間ではがん検診で早期発見が大切と言われているが、生活の質から考えると、まだ症状が出ていない状態でガンが見つかり、治療となると本人は辛い状態になり、元気な体を無理やり辛い方向性に持っていくようなもの。だからがん検診はやらない。ガンを探しに行かない、症状が出てから治療するので良い。無駄に手術や抗がん剤治療もしない。できるだけ放っておいて穏やかに死に向かうのがよい。緩和治療はするけど。と言う。マジかー。それはどうなんだろう…
同意する部分→お金の問題 彼は公的保険でできることだけするポリシー。医療も介護も公的な保険以外のプライベートな保険には入らず、オフィシャルな保険でやれる範囲のことで十分と考えていた。特別なことはやらない。認可されていない特別な治療を受けようとするとお金もかかるし、効かないと考えていたから。保険も降りないような治療ははなから信じていなかった。科学の子とも。だから祈祷や、食事療法、保険診療以外の薬、健康食品の類は一切せず。結果としてある意味、日本の制度で可能な、ガン患者の家での看取り となった。
役立ててほしいと著者が言うように、様々な状況への具体的な対応が記述されているが、それゆえに夫をどのように愛してきたのかが滲み出ずにはおらず、研究者らしい抑制の効いた文章でありながら、情感あふれる文学作品になっている。あとがきを読んで、自分の配偶者をあらためてたまらなく愛おしく思った。
p124.まずは「ガンの患者には根菜をたくさん食べさせるといい」と聞いた。p126.緑黄色の葉野菜も、ブロッコリーの芯も、ピーマンでさえ、しぼってすぐに飲むと、実においしいのである。時間が経つと酸化しておいしくない。p127.要するに、我が家のガン患者の方針は、「医療保険と介護保険」でできること以外は、やらない、であったのだ。全ての代替療法、食事療法は、拒否。保険診療以外の薬も、拒否。p136.いま生きているこのときが、輝いていて、みずみずしくて、素敵なのに、なぜ、いまこのときを楽しまずに、いまを我慢して
将来のからだを気にするのだろう。p174.~自分自身の希望として「死ぬならガンがいい」と言うような病気だ。~ガンによる痛みはよくコントロールできるようになっている、ということもあるだろうし、また、「最後まで意識がしっかりしていて、自分を失うことがない」ということもあるらしい。p198.しかし、それでもやはり、大切な人を家で看取ることは、残るものが励まされる貴重な経験である、と言うのをやめることはできない。p206.失ってしまったのは「どうでもいいこと」を共有する人。それが配偶者なんだなあ。
認知症その後乳ガンを発症した義母、ずっと自宅で介護していたが、看とりは病院でやった。「大魔王はあのとき手術しなかった方が長生きしたのかもな。」と今も言っている。家族会議した結果手術すると決めたこと。この作者も伝えているが、介護にはいつか終わりが来ること。とは言え、そのいつかは今日なのか明日なのか、一年先なのか数十年後なのかはわからない。
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