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北条早雲: 新しい時代の扉を押し開けた人 (日本史リブレット人 42)

感想・レビュー
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ネタバレ2017年の本。
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竜玄葉潤
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神奈川育ちとしては、早雲=小田原=相模の印象が強いが、実はあまり関係していない。北条=関東のイメージも強いが 、実は早雲はそうでも無い。
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tmt
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この本を読んで印象に残った点が2つある。 まず、北条早雲の持つ野心の強さ。伊豆を平定した後は相模・武蔵、甲斐、遠江と積極的に出兵し、時には天変地変を好機と見て被災地に攻め込む容赦のなさもあった。自身の支配域を広げることに強い関心があったことがうかがえる。 そしてもう1つは、百姓を政治的・法的な主体と認める、常識にとらわれない柔軟さ。郡代・代官らの横暴を防ぐことができる、この合理的な施策を早くから導入していた早雲の治者としての優秀さに感心させられた。
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さとまる
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宗瑞の伊豆侵攻に関して、明応の政変との関連性を認めず、あくまでも宗瑞自身の野心を根拠にしているのが意外だった。
0255文字
coolflat
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1頁。北条早雲(1456~1519)は伊豆と関東に広大な領国を築いた戦国大名北条氏の初代である。一代で伊豆と相模を平定し、北条氏発展の基礎を築いた。かつては早雲は氏素性がわからず、素浪人から戦国大名に成り上がった、下克上の時代を代表する人物という見方も流布していた。しかし、近年の研究により室町幕府の政所執事伊勢氏の一族で、備中荏原郷に所領を持つとともに、将軍の近臣として京都で申次などをつとめていた伊勢盛時であることがわかった。父盛定とともに中央政界の有力者だったとみられ、イメージが一新された。
coolflat

86頁。氏綱は早雲の代から自信が居城としていた小田原城を本城とした。東方の進行を進めるため、関東の内に本城をおいたのである。そうして1523年秋頃に名字を伊勢から北条に改めた。鎌倉北条氏の末裔の女性との婚姻伝承に着目する説があるが、仮にそうした女性との婚姻があったとしても、二カ国の大名が名字を変える事の政治的意図を考えるべきであろう。翌年正月早々に扇谷上杉氏の重要拠点江戸城を奪取する事からみても、扇ガ谷・山内上杉氏打倒、武蔵制圧、房総侵攻継続を当面の目標都市、ひいては関東に覇を唱える構想があったであろう。

04/04 22:37
coolflat

上杉名字に対抗できる名乗りとして、北条を選んだに違いない。伊豆での拠点の辺りが北条と呼ばれたこと、鎌倉北条氏が伊豆から相模に進出し、幕府の執権となったことなどが念頭にあったかと推測される。それはまた、由緒ある伊勢名字に決別し、関東支配に軸足をおいたことを意味しよう(京都・畿内との関係を絶つという意ではない)。87頁。氏康は1546年に河越の合戦で、扇谷上杉氏を滅ぼし、52年には山内上杉憲政を越後に追った。ここにいたって両上杉氏を駆逐したのである。

04/04 22:37
4件のコメントを全て見る
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太田左衛門大夫
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幕府政治との連動関係を再検証したことで大きく伝記が塗り変わったが、ここではむしろ民政に配慮したことに特色がある大名であると強調している。紙数が足りないが、十分に新しい内容。
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MUNEKAZ
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北条早雲のコンパクトな評伝。幕府奉公人が出自で、関東では外来者だった早雲だが、地震や津波といった天災を奇禍として、伊豆・相模に進出したいったのではないかという点は面白かった。また早雲自身の他に重臣層にも京下りの「外来者」が多く、それ故にしがらみを排して百姓を検地などで直接把握する体制が築けたとするのも興味深い。百姓との向き合い方を評価に入れるのが、著者らしいと感じる。
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アル
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伊勢盛時こと早雲の生涯と主な家臣団、支配体制の特徴まで、100頁に満たない薄手の本ながら必要十分な内容が詰まっている。 早雲の時代から始まる貫高制などの支配体制の革新性が印象的。
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やま
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薄い本だがある程度の知識がないと理解は難しいと思われる。最新の研究成果をふまえた早雲像は興味深い。
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さとうしん
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北条早雲=室町幕府の申次衆で有力者層の伊勢盛時として語られる評伝。伊勢氏同族との関わりについてもちょこちょこと触れられている。「外来者」として自らを意識していた早雲が、当時の通例とは異なって家臣を通さずに直接百姓と向き合おうとしたという話が面白い。
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北条早雲: 新しい時代の扉を押し開けた人 (日本史リブレット人 42)評価91感想・レビュー10