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脱住宅: 「小さな経済圏」を設計する

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Tad
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日本の住宅政策において、標準化された住宅が画一的に提供されてきたことの問題が提示されている。そうした政策の背景にあるのが管理の思想であることも言及されている。各家族のプライバシーが優先された集合住宅が、孤独死等の問題に対する解を提供し得ず、社会的機能をもつ装置として貢献していないことを著者は嘆いているのだと思う。確かに都市部で生活する身としては、住居の選択肢は閉鎖的で外部から遮断された集合住宅に限定されていると思う。建築家は技術者であり思想家でもある気がした。写真もたくさんあって面白い。
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JMN_本を読む
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住宅設計課題中にとても役に立った。 まず、2LDK、3LDKの外部に閉じた住まいは決して不変の形ではなく、近代の論理によってもたらされた形であると断じ、小規模のコミュニティを経済(ものを売る、あるいは“そこで仕事をする“)活動によって実現しようとしていることの解説。 関係人口を増やすことができるのと同時に、それぞれの住人が持っている固有言語(=それが仕事に現れる)が住民同士を繋げる役割を担うことができるとの示唆だった。 うーん。
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takao
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ふむ
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avantgarde4u
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初、山本理顕の本。興味深かった。日本の住宅政策は貧しく、日本は管理国家なのだとよくわかってがっかりした。韓国の方が住宅に関してはよほど個人のことを考えているらしい。今の日本の集合住宅は基本的にほとんど戦後の、賃労働者の一家族が住むための閉じられた空間であることに対する問題提起。とその試みの紹介。私もそういう閉じた集合住宅に住んできたからつまらないことになっているのかな?本当はもっと可能性はあるはず。私も紹介されているような併用住宅に住んで小さな商売をしたい。これも義務教育とか公民で教えて欲しい話だ。
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くしろ
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自分が今まで考えてきていたことが言語化されていた本だった。一家族=一住宅の空間は内側を幸せにすることに特化している。その当たり前を疑うことが必要。スタジオと閾という概念は今までなんとなく使っていた中間領域という言葉がより具体的になったものではないかと感じた。地域社会圏についてもう少し知る必要がある。
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saiikitogohu
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「今、私たちが住んでいる2 DKとか3DKとか言う住宅も戦後に建築家たちが考案した住宅なのだ。…元はと言えば第二次世界大戦後にヨーロッパから直輸入された労働者住宅がそのモデルだったのである」5「それまでの日本の住宅とは似てもにつかない住宅だった。夫婦とその直系の子供(核家族)だけで住むような住宅だった。「一住宅= 一家族」である。サラリーマンのための専用住宅である。…プライバシーとセキュリティが充実した密室住宅…哲学者は助け合う社会の重要性を解くけど、それ自体矛盾していないだろうか。」7
saiikitogohu

「阪神淡路大震災の体験…震災そのものであると同時にその後の復興の経緯の中で、コミュニティーがサンドによって破壊された…人は震災そのものによって、2度目は仮設住宅に移住することによって、そして3度目は、さらに復興住宅に移住することによって…復興住宅はここの家族のプライバシーに配慮する住宅ではあっても、住民相互の関係は全く考慮されない住宅だった。コミュニティーと言う発想がそもそも住宅を供給する側には全くなかったのである」127

02/13 10:33
saiikitogohu

「コモンセンス…、共同体感覚…私という個人は単なる個人ではなく共同体の一員だ、と言う感覚…コミュニティーとは建築空間、都市空間に対する帰属意識であり、経済的な利害を共有する単位である。そしていつまでもその場所に住み続けたいと言う場所に対する愛着であり、その場所をいつまでも美しく保とうとする住人たちの美意識である」245

02/13 10:34
12件のコメントを全て見る
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Ko
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様々に実践を重ねている山本理顕が「私の立場は、コミュニティは可能であるという立場である。」と断言しているところに勇気がもらえた。
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Kenta
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今当たり前のLDKも、歴史的には近年の常識だと知ると、世の中 全ての物の見え方が 少し 変わって見えます。
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massda
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自分で家を建てたとき、閉じている感じになるのが嫌で、道との境に座れる高さの仕切りを作ったり、道沿いの窓は遮光カーテンではなく障子をつけたりした。あんまりclosedな家は嫌だと本能的に考えている人は、けっこういるんじゃないかと思った。あと軒下に天水桶も付けました。水遣りに便利なのでおすすめです。
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shikada
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建築家が、日本の住宅を再考する一冊。日本の住宅は、いつからか「一つの家に、一つの家族」がデフォルトになってしまった。共同のスペースがまったくなく、プライベートに配慮しすぎてコミュニティを形成するきっかけがない家。そんな内向きに閉じた日本の家、コミュニティに対する反論として、著者は色々なかたちの家を建築してみせる。食堂・シェアオフィス付きアパート、路地と商店街が自然に生まれ、被災者が小さな経済圏をかたちづくる仮設住宅。コミュニティづくりを、ハード面の設計で補おうという視点を新鮮に感じながら読んだ。
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や
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一住宅=一家族の住宅形式は20世紀型でありながら、約20年ほどだった現在、その呪縛から国も供給者も住人も建築家も解かれていない。 本来進むべき時代に逆行する管理と儲け一辺倒の制度の中で、呪縛を少しずつ解きほぐしていくための著者の試行錯誤が理解できた。 小さな経済をつくることが、コミュニティ形成に作用するのは、ある意味合理的だと感じた。利害を共有すると、コミュニティを形成する理由ができる。
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tenori
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SOHOが「一住宅=一家族」の既定概念を覆すことはなかなか難しいと思う。SOHO自体が受け入れられる前に死語に近づいているし、この本で取り上げている実例も「それっぽい」使われ方はしているものの完全なるSOHOを実現しているとは言いがたいと感じた。ただ、こと集合住宅の中に居住者間が繋がる場所をどう取り込んでいくかは重要で、建築に携わる者として啓蒙の方法論を考えさせられる内容だった。
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瞬時之介
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ネタバレ効率的に集合住宅なり人を集める場所を作ってもコミュニティは生まれない。居住と生業を通してはじめて関係性が生まれる。今後はそれらを前提に住宅を設計しなければ。その通りだと思うけれど、今の日本の9割の雇用労働者には関係ない話だなと。鶏が先か卵が先か。官僚主導の社会インフラと自己責任の住宅に大きな乖離がある、という一文が印象に残った。住宅の設計の歴史をひもときながら考える哲学書のようでもある。良い本だった。
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たばかる
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資本主義の加速による“効率化”が加速された結果、労働から離れ他人との距離を置いて家庭を育む空間としての住宅が理想的とされた。著者はそのようにして築かれたプライバシー重視=幸福観が(社会保障の必要性によって)破綻していることを問題視し、新たな建築とともにコミュニティの復活を探ろうとする。田舎住まいの自分には想像しずらいような建築物件が多くの写真や平面図付きで掲載されていたのは助かった。中でも韓国の公営住宅に住民の共同の菜園があるのに対して、日本では平等な分配などが求められるため難しい、という分析には感心。
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するめいか
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コミュニティ(コモンズ)にとって経済活動が本質的であるというのはいたく納得。経済活動というのは大層なものでなくてもよくて、身近な食堂だったり小さな事務所だったりちょっとした手づくりの物だったり得意な何かを人に教えることだったりする。仮設の提案や、最後の集合住宅の事例などは特に興味深い。それにしても、鈴木成文との対話を経ても、著者の食寝分離や51Cや建築計画学に対する書きっぷりは相変わらず偏っている。何かに対する強い不満が創造の力となるとするなら、歴史的経緯への理解はむしろ邪魔なのかもと思ってしまった。
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アキ
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1960年代から国家から供給されてきた「1住宅=1家族」という住まいは、産業革命以降、都市にあふれる労働者を収容し、プライバシーを守ることが常識になった。世帯の50%以上が単身になった現代の都市にコミュニティの消失と繋がりの断裂を生んでいる。建築家はドアを透明にし、共有スペースを作りオープンな空間を確保して未来のコミュニティを創造することができる。実は最も壁を作っているのは我々の意識だった!ということに気づかせてくれる良書。これから住宅は変わるのだ。これから政府のデベロッパー任せは立ち行かなくなる。
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アメヲトコ
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住宅内に公私の中間領域を組み込んでそこに小さな経済行為を発生させることで、自閉的で非社会的な「一住宅=一家族」モデルを批判的に脱却しようとする試み。京都の両側町(「まち」とルビが振られていますが「ちょう」と読むべきでしょう)をモデルとする指摘は、やや町共同体を理想化し過ぎなきらいもありますが、町家の「見世」空間の可能性については同感。
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