形式:単行本
出版社:山川出版社
第三章で『ローマ皇帝群像』からハドリアヌス帝やセプティミウス=セウェルス帝のエピソードが引かれており嬉しい。また同章について。ローマ的水道建設のあり方として、最近読んだ鯖田豊之氏の言葉が引かれている。「どんなに距離が遠くとも、良質水源を探して直接流下で導水する」最後のまとめも腑に落ちた。「水道に代表されるように、あらゆるものがコンスタンティノープルの犠牲となり、すべてのがこの都市に収斂されるように形作られた世界のあり方こそ、ビザンツ的世界秩序なのであった。」
赫連勃勃が築いた統万城の遺跡写真もある。行ってみたい。
北魏が拓跋姓から元姓に改める一方で、もともと劉姓だった赫連勃勃が匈奴語に由来する赫連姓に改めたり、慕容姓だった高雲が高句麗に由来する高姓に改めたという記述を見てると、楊堅がもともと普六茹姓で李淵が大野姓だったというのも、徳川家康が源氏を称したという程度のもので、取り立てて騒ぐほどの意味はないかもしれない。
あとは西ヨーロッパにおいて聖書が「君主鑑」として読まれたとか、コンスタンティノープルが実質的に帝国の首都となったのはテオドシウス朝の時代という話が面白かった。歴史に教訓を求めるという方向は古今東西を問わずあるもんなんだなと。
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