形式:新書
出版社:白水社
形式:単行本
形式:Kindle版
書ききれなかったので…
ルーツとアイデンティティだけのお話かと思いきやちゃんと歴史にも踏み込んでいた。台湾で教育を受けたこともあるわたしなんかよりもずっと。
◆そもそも数頁を切り取って読めばいいというのが無茶なのだが…。最も端的に「日本語はだれのものなのか? 日本人とは、だれのことなのか?」と問う「永住権を取得した日」(こののみウェブサイトではなく『早稲田文学』に掲載された文章を改題して収録)や、原題となった「失われた母国語を求めて」、単行本で巻末にあたる「終わりの始まり」から抜き出すか。「祖母語、母語、娘語」もいいかと思ったが、やはり歴史的事項をおさえないと難。あるいは若い人向けに書かれたという「「国語」から旅立って」を見てみようと思う。
日本ではカタコトの日本語を笑ったり帰国子女たちが日英混ぜこぜで話すのを否定するような風潮があるように感じるがそんなときはこの言葉を思い出したい。「彼女のラテン語の文章にはチェコ語とドイツ語とポーランド語の単語が修道女の焼くパンケーキの中の干しぶどうみたいにはさまっている」引用して使われているこのフレーズの例え本当に秀逸だ。
またもう一つ外国語学習する際、私を元気付けてくれるような言葉とも出会えた。「私は私の訛りをもって、私の遍歴を証言し、世界の響きに合流する。私はカタコトによって日々の策略を開発し、意味もわからないまま道の言葉を使い、相手の反応によってまた音声を調整する。とりあえず、動く。その場で話す。生きる。」菅啓次朗のオムニフォンからの引用らしいがこの言葉しっかりと胸に刻んでおきたい。
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