形式:新書
出版社:中央公論新社
英国人ジャーナリストのトム・バージェスが2015年に書いた『喰いつくされるアフリカ(邦題)』で描かれていたナイジェリアは、本著で描かれているナイジェリアよりももっとエグくて、絶望的な国だったので、そのトーンの違いが気になった。本著者は1970年代から現地調査を行っていたとのことなので、バランスの取れた視点でナイジェリアを俯瞰することが出来たのだろうと思うが、英国のジャーナリストほどには肉薄してはいなかったのかもしれないという気もした。それでも手軽にナイジェリアを理解するには最適な本だと思う。
『喰い尽くされるアフリカ』でした。<(_ _)>
●奴隷貿易が禁止された過程が興味深かった。時代の流れとして18C国家が保護して有利な貿易をする重商主義から19C産業資本主義へ転換する状況の中で、砂糖業界等の利権が固定化してるのを崩したい資本家の思惑があって、人道主義者、キリスト教徒始めとして世論の支持を得たと。逆ではない事がポイントだと思う。経済の仕組みが世を動かす一つの側面だという例だなと。
●植民地支配、統治は何だかんだでイギリス側が一枚上だったのかなと。記述されてる通り、ソコトやベニン王国等も何も分かってなかった訳じゃない。ただ探検家と宣教師が大きかった。地形、気候、国家制度等の支配に影響する基礎情報をこれで英国が得たらしい。これって逆に、情報取られない様にすれば侵略され難いのかなとも思える。
これに対し、綿織物工業の発達で大量の労働者を抱えるようになった産業資本家たちは、穀物価格を高くしている穀物法にまず反対し、次に労働者の消費が増えていた砂糖の価格引き下げを求めて砂糖関税や砂糖法などの撤廃を訴えた。産業資本家たちは批判するにあたり、砂糖プランテーションにおける奴隷使用とそれを支える奴隷貿易をやり玉に挙げた。奴隷貿易禁止の最大の障害になっているプランターたちを批判することで、人道主義者や福音主義者の支持を取り付け、やがて世論の支持も得て、1840年代には砂糖関係の関税引き下げに成功した。
51頁。アメリカ植民協会が自国の解放奴隷の機関先として選んだのがモンロビアであった。同協会は1822年に初めてこの地に解放奴隷を送った。その後もこの地への解放奴隷の入植は続き、彼らが中心となり1833年リベリア連邦の設立を宣言した。これが今日のリベリア共和国のもととなっている。また18世紀末からイギリスで高まった奴隷制廃止運動の一環で、解放奴隷のための入植地として選ばれたのがシエラレオネ半島である。ここにイギリス国内からの解放奴隷、後に西インド諸島や西アフリカ沿岸部の解放奴隷が送り込まれた。
アフリカ諸国は英仏などからお仕着せのように決められた領域をもとに成立した国が大半で、民族的な分布や西洋人到来までの歴史背景を無視していることが多く、民族対立が党派主義を生み出して国の統治を難しくするだけではなく、ルワンダでの悲劇やソマリア、ブルンジ、ナイジェリアなどでの内戦を生み出してきた。連邦主義はそういった多民族国家にとって妥協的ではありながらも優れた制度であるようには思うが、『ナイジェリア人』や『ルワンダ人』という民族を超えた意識を作り出さなければ根本的な解決には至らないのではないかとあらためて思う
ナイジェリアは現在アフリカ大陸一の経済大国でもある。産油国であることと人口の多さでがナイジェリアをアフリカ最大の経済大国に押し上げているのは事実だが、コカ・コーラやトヨタなどナイジェリアでの生産を行っている世界的企業は少なくない。英国では各大学で必ずまとまった数のナイジェリア人たちが商学や経営学を学んでいる。いまだインフラの整理などが十分でないこともあり、更なる経済的な飛躍を遂げて西欧諸国や東アジア諸国のような先進国に成長するには時間がかかるが、そのための素養は備えている国であり、注目に値する。
これは「欧米人」「白人」でなく「キリスト教徒」の残酷さとしてしか説明できない。そして、「奴隷貿易で連れていかれた人々はアフリカで元々奴隷だった人々」という論は、「キリスト教徒にとっての異教徒の奴隷」と「アフリカの社会における奴隷」を故意に同一視するまことにクソッタレな詭弁である。
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