レイノー様へ。「削除にまでは及びません。この議論自体も、後に見れば、「色々考えたね。」と思い返すことができるはずです。また、ここでの指摘自体が備忘録の役割を果たすでしょう。」というご発言に驚きました。実は、「あいちトリエンナーレ2019」の件で賛美両論喧しいのですが、それこそが社会が健全である証拠ではないかと思っていたところでした。同調圧力などという言葉もあります。異を唱えることの難しい時代ですが、空気を読むだけの社会というのは果たしてどうなのかな?というかすかな懸念も持っています。ご寛容に感謝します。
コメント失礼しますm(_ _)m 「邪馬壹国」というのは『三国志』の12世紀南宋刊本に初めて出てくる表記です。それ以前に『三国志』(魏志)を引用・参照したと思われる典籍には「邪馬臺」とあります。顕著な例が『隋書』の「則魏志所謂邪馬臺者也」ですね。『隋書』の成立した唐代7世紀頃流布していた『三国志』に「邪馬臺」とあった証拠となります。『後漢書』『隋書』『北史』『梁書』『通典』『太平御覧』『冊府元亀』など、皆「臺」です。今われわれが見ている「原文」というのは、陳寿から9世紀後の12世紀南宋代の刊本なのです。
>過分なお言葉 いえいえ、砂漠にオアシスを見た気持ちになりましたので、そのように書かせていただきました。私も大学は工学部でした。それが今では漢籍(中国の文献)と格闘する毎日です。高校時代、もっと漢文の授業を真面目に聞いておけばよかった、、、というのは後の祭りでした。今後とも宜しくお願いいたします。
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