形式:大型本
出版社:パンローリング株式会社
これ、良い本ですよね。
Johnnycakeさん これからも読み継がれていくべきとても良い大事な本だと思います。
このような体験すべてが現在のヴラデックの性格に至っていると思うと、戦争がなかったならと悲しく思ってしまう。
ユダヤ人がネズミ、ドイツ人がネコ、ポーランド人がブタ、アメリカ人がイヌとして描かれている。動物の擬人化で風刺漫画かと思ったが、物語の展開にその違いも忘れて読み終える。時は流れてニューヨークにいる著者とかかりつけ精神科医との会話場面。「人生は常に生きる者の味方だ。なのに、どういうわけか犠牲者は非難される。でも生きのびたのが最良の人たちではないし、最良の人たちが死ぬわけでもない。無差別なのさ」「これまでホロコーストについてどれほど多くの本が書かれてきたことか。→
問題にすべきは何か? 人々は変わりはしなかった。もっと新しい大きなホロコーストが必要なのかもしれない」「とにかく死んだ犠牲者たちは、決して彼らの側の物語は話せない。だからもう、物語はこれ以上、ないほうがいいのかもしれない」とあり、サミュエル・ベケットの「あらゆる言葉は沈黙と無のうえについた不必要なしみにすぎない」の言葉があった。この物語を描く著者の苦難の場面もある。
描いている。そう言えば近年ハンナ・アーレントや草間彌生の黒人差別も問題になった。因みにスピーゲルマン始め複数のユダヤ人作家が痛烈に批判したのがホロコースト映画『ライフ・イズ・ビューティフル』アカデミー賞主演男優賞、外国語映画賞など受賞で、好きな映画に挙げる人も多いが、これはダメだと思った私はその理由を言語化出来ず…そこにスピーゲルマンの「メタファーからホロコーストの問題を描くのではなく、ホロコーストをメタファー(困難な時代)として描くのは歴史を一般化し心底些細なものに変えてしまう(大意)」
スピーゲルマンは動物に仮託してホロコーストを描いたが、その作品に影響されて製作された映画が、全く違う意味のものであることにショックを受けたよう。“感動”とは捏造されやすく、感動する側が欲したストーリーの消費に過ぎないと改めて思う。1992年ピュリッツァー賞を受賞した最初のグラフィック・ノヴェル
彼はここで英語を習いたかったのさ。彼はわしを自分のそばにいさせた。 p.191; 「このユダヤ人め!ここへ来てほんの2、3日だというのにもう取引をする気なのか!?」 p.193; ドイツ人の囚人もいたんだ。でもドイツ人にとって、この男はユダヤ人だったのさ! p.210; 翌日、修理はできていた。彼はブーツを置くと何も言わずに出ていった。そしてソーセージをまるまる一本もってきた。 p.221; 燃える死体から出た脂肪をすくいあげ、もっとよく燃えるようにかけた。 p.232;
「君も衛兵を買収して一緒に来いよ」「ドイツ兵なんか信用できるか」 p.243; 「アメリカ軍がここに来るまで、ここにかくまってください」 「行け!俺は関わりあいになりたくないんだ」 「頼みますよ。ほんの1日か2日……」 「よし、裏に穴ぐらがある。そこでおまえたちが寝ようと、俺の知ったことじゃない」 「あの、ちょっと、ユダヤ人がふたり、裏の穴ぐらに隠れていますぜ」 p.269;
「サミュエル・ベケットがこう言ってます。『あらゆる言葉は沈黙と無の上についた不必要なしみにすぎない』でも一方で、彼はそれを言ったんです」
そうなの。とても良かった。ちょっと高いから図書館にあるといいね。なかったら貸してあげたいよ。戦争前の生活からの段々の変化や作者のお父さんの人柄とか、虚飾がないからすべてがよりリアルに感じられた。どこかに美化があるとフィクションっぽくなることもあるからね。動物にして描いてるのも色んな効果があった。
まずは今度、図書館でリクエストしてみるね。劇画だから道内の図書館であるといいんだけど(^^)
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